全身を所々に紅玉をあしらった白銀のローブに包み、同じ色の長い髪を風もないのになびかせた驚くほど美しい男が私の前に立っていた。
「おや、どちら様ですかな?」
私は、この見るからに怪しい男に対して、自分でも驚くほど警戒していなかった。
それは、男の酷く優美な物腰のせいだったかも知れないし、或いは……、警戒などしても無駄だと本能が悲鳴を上げていたからかもしれない。
「こちらの「御嬢様」を購入させて頂いた者ですよ、今日は彼女について聞かせて頂きたいと思いましてね」
何から話すにしても、まずは私のことを語るべきでしょう。
私は稲葉修三、桜小路家に御仕えして三十五年の執事で御座います。
あれは、八年前のことでした……。
いつものように屋敷を抜け出して、村へ遊びに行っていた一人娘の恋華様が大陸からやってきた吸血鬼にかどわされたことからこの話は始まります。
「おとうさまおかあさまごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、わたしがちゃんといいつけをまもっておうちのなかにいないわるいこだからです、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
よほど恐ろしい目に遭われたのか、使用人や村の勇士によって救出されたときには、すっかり気が触れておりました。
それだけならまだ幸いだったのですが、なんと、恋華様はあの吸血鬼めの子を孕んでいたのです。
旦那様は腹を裂いて取り出すように命じましたが、奥様とメイドの一人が強硬に反対したため、それは取りやめになりました。
それから八年、生まれた娘は永久と名付けられ、屋敷から出ることなく育ちました。
恋華様はやがて落ち着きを取り戻されましたが、あの日の事や娘の事は忘れてしまいました。
そんなある日、恋華様に縁談が持ち上がりました。
あの様な事が有ったのですから、縁談など有るまいと考えていた旦那様は、二つ返事でそれを了承しました。
そして、相手の家は永久様の事を知らなかったので、永久様が原因で縁談がはごに成ることを恐れた旦那様は、使用人達に永久様を殺すよう申しつけました。
しかし、永久様を不憫に思ったのか、或いは金が欲しかったのか、殺害を命じられた使用人達の手によって、彼女は奴隷商人に売られました。
「その後、私が彼女を買って今に繋がる、と言うことですか」
男が話を締め括る。
「ええ、そうなりますね」
これで、私の語り得る事は全て話した。
しかし、買った奴隷の来歴などを聞いてどうするつもりなのだろうか?
「となると、彼女をここに戻す必要はなさそうですね」
この男は、以外にも結構な偽善者らしい。
大枚を叩いて買った奴隷を、わざわざ実家に返そうとするとは。
吸血鬼の混じり者など、相当高かっただろうに。
「ええ、存分に可愛がって下さい」
若干の皮肉を交えて答えると、彼はその様な事などお見通しとばかりに笑みを浮かべて返した。
「おや? 大切にして下さい、ではなくて?」
実の所、私は彼女がどうなろうと構いはしなかった。
ただ、彼女の生存が旦那様の耳に入れば、処罰を受けるのは私だろう。
「ええ、犯すなり、孕ませるなり御自由に、貴方が買った以上あれは貴方の物です。ただ、ここには連れて来ないで頂ければ助かります」
私は正直に答えた、この男の前では隠し事など無意味だろう。
「正直であることは美徳ですが……、所詮は人間ですか」
冷たく睨まれてしまった。
「ま、まあ、吸血鬼の混じり者なら年も取らないでしょうし、愛娼には打って付けでは有りませんか」
命の危険を感じたため、フォローしてみる。
……最も、フォローになったかは疑問だが。
「……どうでも良いですが、吸血鬼やダンピール(人間と吸血鬼のハーフ)全般が不老と言うわけでは有りませんよ。」
男は呆れた様に呟いた。
「おや、御詳しいのですかな?」
吸血鬼の生態など、通常の人間が知るはずもないが、この男であれば何を知っていようと、驚くには値しない気がする。
「ええ、吸血鬼という呼び方自体が、人間の血液を食物とする人型の怪異の総称に過ぎない訳ですから……、って、そんなことはどうでも良いのです! まあ、彼女に関しては当てはまる様ですが……」
この男、案外ノリが良い。
「まあ、そう悪くはしませんよ」
結局、吸血鬼とダンピールに関する抗議を小一時間ほど繰り広げた後、彼は微笑みながらそう告げた。
「それは重畳」
どうでも良い娘とは言え、幸せになってくれるのなら、それに越したことはない。
「貴方は、善人なのか悪人なのか解りませんね」
彼は、苦笑しながら言った。
「ただ、小物なだけでございます」
私も、笑いを返しながら事実を述べる。
この男とは、良い友人になれそうだ。
「存外に楽しませて貰いました、これはその礼です」
男は、そう言って身に着けていた紅玉の一つを投げると、来たときと同じように、何時の間にか居なくなっていた。
「そう言えば、もう百年も経ちますね」
私ことルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス13世は、そんな呟きを漏らした。
「はえ?」
私の隣で、濡れ羽色の紙を腰の辺りまで伸ばした十代前半のメイド服を着た少女――永久――が、首を傾げた。
「いえ、そろそろ永久と出会って百年になるのかと思って」
思えばこの百年、それまででは考えられない程に楽しく充実した日々でした。
「あ、はい、これからもよろしくお願いします、御主人様!」
そんな事を考えていると、永久が可愛らしく頭を下げた。
「おや? 嫌になったら他の所に行っても良いのですよ? 永久なら、引く手数多の筈です」
その様子が愛らしかったので、少しからって見ることにした。
「え! ご、御主人様以外の所に行く気なんて有りませんよ!」
永久は、少しむきになって反論した。
ずっと、こんな日々が続くのなら、死ぬ事も狂う事も許されない永劫の歳月であろうと、恐れることはない……。