其処は異形の世界であった。
いや、世界の理を知る一握りの者達は、その在り様こそが正常であり、大地と空が存在し生命に満ちた世界こそが異常なのだ、そう言うかもしれない。
しかし、常人にとって見慣れぬ、所か想像すら困難な世界であれば、それを異形と称しようと、間違いでも無かろう。
其処は、何処までも続く果てのない暗闇であり、同時に万色の光が絶えずうごめく光の園でもあった。
其処は見る者の認識によって如何様にもその在り様を変える……、いや、振る舞いを変えると言った方が適切であろう。
其処は世界と世界の狭間であり、本来ならば足を踏み入れる所か、定義してやらねば存在すらしない場所である。
……しかし、人が船を造り大海原を渡った様に、あるいはロケットを造り虚無の領域を越えた様に、この異形の世界も、相応の技術を以てすれば、越えられぬものではなかった。
今日もまた、一台の馬車がその異形の世界を駆けて行く。
先日のシルフィ達のゴタゴタの後、私たちは次の世界を目指して時空の狭間を進んでいた。
「御主人様、次はどんな世界に行くんですか?」
濡れ羽色の髪と夜を映したかのような漆黒の瞳を持った、小柄な体をメイド服に包んだ美少女が、上目遣いにそう尋ねてきた。
「先ほどの世界は比較的平和で、まともな世界だったので、次は混沌とした世界を選びました、第十二次最終戦争の混乱から回復しておらず、超人と呼ばれる存在が争いを続けているようです」
「大丈夫ですか? 御主人様?」
少女が不安そうに問いかけてくる。
彼女の名前は永久(とわ)、私の……、何でしょう?
「大丈夫ですよ、私が護りますから」
そう言って、安心させるように微笑みを向ける。
とは言え、この子自身も正面から相対する限り、大抵の存在には後れを取らないはずですが。
「ありがとうございます、御主人様!」
其処はおぞましい程に不自然で、同時に酷く自然な世界だった。
古の大戦において主戦場となったその世界は荒廃し人の住むに適さぬ荒野が広がっている。
さらに、大戦の折り、生体兵器として肉体を改造された者達の子孫が超人と呼ばれ、力を持たぬ人々を支配していた……。
さて、此処に一人の超人が居る、彼の名はジミー。
彼の能力は異常な筋力と、ポージングを行うことで光線を放つことが出来るという、超人としてはありふれたものに過ぎなかったが、さりとて何の能力も持たず、訓練も受けていないような一般人が対抗出来る様なものでもない。
彼はその力を利用して、行商人のキャラバン等を襲って生計を立てていた。
そして今日もまた、彼の前に哀れな獲物が現れた……。
「ヌハハハハ、食料と金目の物全部おいて居けぇぇい!」
……この世界、通称超人界に入って、近くの町を目指して馬車を走らせていると、筋肉の塊のような大男が進路に立ちふさがり、その様なことをのたまいました。
「わー、あれが超人ですか? 御主人様?」
「チョージン、チョージン」
馬車の窓から外を覗きながら永久が尋ねるのと合わせて、この前の世界で買って、今は籠に入れて窓の外に吊してある人語を話す鳥、ピーチャンが奇声を発した。
「はい、とは言え、皆が皆あの様な暑苦しい姿をしている訳ではありませんがね」
微笑みながら、観光ガイトにでもなったかの様な気持ちで永久の問いに答える。
「そうなんですか?」
「ええ、元々が兵器でしたから様々なタイプがありまして、あれは恐らく拠点の防衛に使用されていた者の子孫でしょう、野戦用の者はもう少しスマートですよ、町に着いたら探してみましょう」
「はい、御主人様!」
そうやって、永久に超人の講義をしていると。
「ヌオオオッ、このジミー様を無視するんじゃねぇぇい!」
馬車の進路をふさぐ筋肉の塊――ジミーと言う名らしい――が吠えた。
「ジミーム!」
彼は意味不明の奇声――この後の展開から考えるに、恐らくはジミービームの変形――を叫ぶとポージングを行った。
すると、謎の怪光線が彼の大胸筋から馬車めがけて放たれた。
幸いにも、直撃はしなかったものの、馬車を掠めた光条は、ピーちゃんに当たってしまった。
ピーちゃんを入れた籠は音を立てて地面に落ちた。
「ピーちゃん……」
馬車を止めて外に出ると、永久は沈痛な表情で籠を拾った。
改めて確認する必要も無いとは思いましたが、籠を覗くとピーちゃんは焼け焦げ息絶えていました。
「フハハハハ、ジミー様を無視するからこうなるのだ!」
それを見るジミーは高笑いをあげていた。
「御主人様」
「何ですか?」
永久がキッと目尻を上げて見つめて来た。
「殺して下さい」
「永久がそう望むのなら、転生すら叶わぬほどに壊して上げましょう」
私の言葉を確認すると、無言のままピーちゃんの籠を抱えて馬車へと戻って行った。
「一般人の分際で、超人であるこのジミー様に刃向かうってのか、ウォォリャアァァ」
ジミーが殴りかかって来た。
私はその場を動かずに、打撃に対して逆向きのベクトルの力を発生させる。
ジミーの拳と私の生み出した力場が衝突すると、彼の拳は止まった。
彼には壁を殴ったような感触が伝わったはずです。
彼は驚愕で目を丸くした、この程度で隙を見せるというのは白兵戦用の戦闘生物としては三流品ですが、だからこそこの様に野盗の真似事――否、野盗そのもの――をしているのでしょうね……。
そんな、どうでも良いことを考えながら、自身の存在確率を制御して彼の後ろに回り込んだ。
「なっ、馬鹿な!」
彼はまたもや目を丸くした。
私は彼の頭頂部に手をかけると、歌うように告げた。
「覚悟せよ、汝は地獄に堕ちるこも、怪異となり果て、何処とも知れぬ異界をさまようことすら許されぬ」
そのまま力を込めて、彼の体を持ち上げる。
「このっ、離せ!」
彼が暴れたが、先程と同じ方法で全て防いだ。
さらに力を込め、指を頭蓋骨にめり込ませる。
「グギャァァ!」
絶叫が響きわたった。
指が脳に達したところで、私は呪文を唱え始めた。
「最後の聖王にして魔王協会の盟主たる我、ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世の名に置いて命じる、森羅よ、万象よ、我に従え……」
その時、彼の体に異変が起こった。
体の各部分が、それぞれ本来ならば有り得ない動きを示し、同時に本来ならば有り得ない形に変形していく。
両腕は数メートルの長さまで伸び樹木の枝ような形に変わった、舌もまた大きく伸び花の雌しべの様に変わった、目は飛び出た後蔦のような物に変わった、左足は蛇の尾のように変わり、右足は腐って爛れ落ちた、そうして肌は隈無く鱗に覆われた。
「彼の者は咎人なり、彼の者の罪を永劫の物とし、決して天の門が彼の者に開かれることの無いように」
呪文が終わる頃にはジミーはすっかり異形の姿と化していた。
「さて、ここで終えれば貴方はその醜い肉体と壊れた魂を持ち、何処とも知れぬ異界を永劫にさまよう事になるのですが、最初に言いましたよね? 貴方にはそれすら許されません。……って、言ってももう分かりませんよね」
一旦言葉を切った私は、今度は短く呟いた。
「灼け」
次の瞬間ジミーだった物は炎に包まれた。
……実のところ、これは厳密には炎ではない、万物を虚無へと還す劫火……、それは無から有を生み出す創世の力と対を成す、有を無に還す終焉の力であった、炎はその表出に過ぎない。
ジミーの肉体と魂を完全に消滅させた私は馬車へと戻った。
「お帰りなさい、御主人様! 一緒に食べましょう」
「ピーチャン、ピーチャン、ピーチャンダヨー」
……馬車に戻った私を待っていたのは、焼き鳥のような物を両手に持った永久と、骨だけになったにも関わらずに喋る――恐らくは、遠隔地に音声を伝える伝声の魔術の応用であろう――ピーちゃんであった。
「ありがとう、永久」
私は笑顔で焼き鳥の串を受け取りながら、永久の人格形成期の生活環境に思いを巡らせた。
確か、奴隷市場で買ったのが永久が八歳の時で、その後の十年ほどは魔王協会で育てたから完全に魔物社会で、その前は実家の地下牢で、食事以外は其処の亡霊たちに育てられたと言っていたから……。
……これでは、生死に関してまともな倫理観の育つ余地はありませんね。
「どうしましたか? 御主人様? 美味しいですよ?」
「オイシイヨ、オイシイヨ」
どうやら手が止まっていたらしい、永久が若干不安げな顔で覗き込んで来た。
「いえ、何でもありません。美味しく焼けていますよ」
焼き鳥を一口かじり、永久に微笑み返す。
「ありがとうございます、御主人様!」
「アリガトウ、アリガトウ」
……問題が無いとは言い難いですが、今はこれで良いですよね?
「今回も出番は無かったのであります!」
ずっと御者台にいたのに一度も描写されなかった黒騎士。
頑張れ、黒騎士! 負けるな、黒騎士!
ジミーを滅ぼした半日後、私たちは町の前にたどり着いた。
「そう言えば、この町の名前は何て言うんですか?」
私にもたれ掛かって首筋から血を吸っていた、濡れ羽色の髪を腰の辺りまで伸ばした、年の頃は十台前半に見えるメイド服の少女が、顔を上げて尋ねた。
「旧魔王協会軍第三特殊研究施設跡地です、第十二次最終戦争当時、魔王協会が人間ベースの生体兵器、要するに現在の超人の祖先たちの研究をしていた施設に人が集まっていつの間にか町になっていたのです。その成立過程からか、現在でも多くの超人が暮らしています。せっかく超人界に来たのですから、超人の多い町を選んでみました。分かりましたか、永久?」
「はい、御主人様!」
笑顔で頷くと、再び私にもたれ掛かって血を吸い始めた。
……そう言えば、永久は一日に何リットル血を吸っているのでしょう……?
以前行った検査の結果を見る限りでは、月に五百ミリリットル程度で十分なはずですが……。
町で宿を取った私達は、馬車と黒騎士を宿に預け、早速観光に出掛ける事にした。
この世界は、大戦の後遺症なのか、常に黒雲に覆われており、アルビノの私や、ダンピール(人間と吸血鬼のハーフ)の永久でも、日光を気にせず気軽に外出できる。
……大気中の有害物質は気になりますが。
「御主人様、何処へ行きましょうか?」
「この町に来たなら、まずは超人歴史博物館でしょう、戦中の研究施設を改修して利用していまして、時空系統の魔法で劣化を防止した試作段階の超人のサンプル等も見られるので、超人の歴史を簡単に学ぶことが出来ます」
「はい、御主人様!」
うんうん、永久は良い子ですねえ……。
……素直すぎて、偶に不安ですが。
町の最奥……、町の中心でありながら、あたかも町その物がそれを隠すために建てられたとでも言わんばかりに誰の目にも触れない場所に、その建物は建っていた。
長年、酸性雨に打たれ続けて廃墟の様になってしまったが、それはかつて、魔に堕ちた者共の拠点であった……。
「あの、御主人様、これって?」
永久の視線の先には、ここまでしてしまうと、むしろ自力歩行すら困難であろうと思われる程に筋肉が異常発達した、男性と思われる――人間の基本形を微妙に逸脱しているため断言ははばかられる――初期型超人の研究サンプルがあった。
「最初は、俊敏性や知性と言った他の要素を度外視してでも、筋力を極限まで上昇させた人間を作成していた様です。とは言え、今見ている物は実戦投入されなかったそうですが」
「はい、御主人様! さすがに動けそうにありませんしね」
永久は納得して頷いた。
「その後、もう少し筋肉を落として歩けるようにした上で、中距離戦用の魔術兵器を内蔵した個体が前線に投入されました」
次の展示物――先程よりは筋肉が落ちて何とか歩けそうな男性のサンプルと、胸部に内蔵するタイプの小型魔力銃――の前に移動しながら解説する。
「あの、御主人様、超人は元々白兵戦用ですよね?」
永久がもっともな疑問を口にする。
「実は、その辺りはノリです。超人計画自体がノリと勢いだけで始まった物ですから。事務方も面白がって予算を振り込むものですから、報告が来る頃にはすっかり話が大きくなっていました」
「そのまま放っておいたのですか? 御主人様?」
今日の永久は質問責めですね。
……事実、超人計画は魔王協会七不思議――確実に七つでは足りない気はしますが……――の一つに数えられる程の謎企画ですしね。
「報告があったときには、上から手を回しても手遅れなくらいに計画が進行していました。元々、魔王協会はそう言った体質の組織ですしね。現在でも出資の九割以上は用途不明金です」
「はい、御主人様!」
……どうでも良いですが、先程の説明で納得出来て良いものでしょうか?
「結局、高い筋力と、高い機動性を兼ね備え、量産性にも優れた個体が主流になったのですが、大戦末期には研究者が趣味に走りまくって、表面がオリハルコンの個体や、猫耳の生えた女性型等、異常にバラエティーに富んだ超人達が戦場を賑わせました。さて、そろそろ町に戻って美味しいものでも食べましょう」
「はい、御主人様!」
とは言え、ここの名物となると、マンガ肉辺りになるのですよねえ……。
野菜も四分の一ブッタ切りキャベツや、皮も剥いていない茹でただけの(場合によっては茹でてすらいない)芋ですし……。
そう言えば、酒類以外の飲み物は有りましたっけ?
まあ、たまには酔った永久と言うのも悪くは有りませんが。
「この世界の名物となると、この辺りになって仕舞いますよね……」
私達の前には、両端から骨が飛び出していて、それを持って食べられる様になっている、何の動物の物かよく分からない肉――所謂マンガ肉――と、得体の知れない植物のサラダに加えて、濁った安酒が並んでいた。
さらに言えば、サラダに使われている植物は「人喰い草」と、そのままの名前が付いていて、食べられない事もないのだが、口に入れた瞬間に異常な苦みとエグみが広がり、食べ慣れていない限り嘔吐は必至だ。
「でも、これはこれで美味しいですよ! 御主人様!」
そう言って、マンガ肉にかぶりつく、濡れ羽色の髪を腰まで伸ばして、メイド服に身を包んだ、一見十代前半に見える小柄な少女。
野性的と表されそうな行動だが、この少女が行うと小動物じみた愛くるしさが感じられるから不思議だ。
「こちらのお酒とサラダはやめておきなさい、不味いですから。それと確か、それは人肉だったはずですよ。……まあ、永久は気にしないでしょうが」
「はい、御主人様!」
少女――永久――は元気に答えた。
……ダンピール(人間と吸血鬼のハーフ)が人肉を食べると言うのは倫理的にはどうなのでしょうか?
半分は人間ですから、問題と言えば問題でしょうし、もう半分は人間の血液を主食とする吸血鬼ですから、問題無いと言えば無いですし……。
永久の笑顔を見ていると、そんな事はどうでも良くなってきました。
「食べ終えたら、市内を観光しましょう」
「はい、御主人様!」
「とは言ったものの、これと言った観光名所もありませんし……」
観光をするとは言ったものの、この荒廃した世界にそうそう観光スポットが有るわけもなく、私は途方に暮れていた。
「歩いていれば、きっと何か見つかりますよ、御主人様!」
「そうですね、それにこう言った所では大抵怪しい組織が幅を利かせていたりしますし」
その辺りを歩いていれば、何か妙な事件に巻き込まれるかもしれませんしね。
そうして、永久と二人当てもなく歩いていると。
「御主人様、あれは何のお店ですか?」
永久が指した店は、他の家屋や店舗の様に、廃材で組み立てられたバラックでは無く、レンガ造りのしっかりとした建物だった。
「あれは武器屋でしょう、この様な世界ですから武器の需要も多いはずですから、潤っているのでしょう。少し見ていきますか?」
「はい、御主人様!」
「ほほっ、いらっしゃいませ。おや、観光客の方ですか」
店主は恰幅の良い、人の良さそうな人物だった。
この様な世界で、この様な商人に出会える確率は低い。
良い物が有れば買っていきましょう。
「ほほっ、そちらのお嬢様にはこれなど如何でしょうか」
そう言って店主は、一振りの優美な短剣を手に取った。
「あ、綺麗です! どうでしょうか、御主人様?」
どれどれ……。
「刀身は、なまくらですが、鞘と柄の装飾が素晴らしいですね、それに使われている魔石の質も申し分ない」
「これはお目が高い、それは大戦の折りに、ノイス砦をたった一人で陥落させたという、猫耳超人ミケが使ったと言われる剣の鞘と柄でして、刀身はその時に失われてしまいましたが、そちらのお嬢様にはぴったりかと」
ふむ。
「永久が気に入ったのなら、買いましょうか?」
「はい、御主人様!」
「ほほっ、お買い上げありがとうございます。お支払いは五億グリムになります」
この世界は、第十二次最終戦争の折り魔王協会の勢力範囲であったので、現在でもその影響で魔王協会公用通貨であるグリムが使用出来るので便利だ。
とは言え、この様な額を現金で取り引きしてもかさばるだけなので、クレジットカードで支払いを済ませていると。
「ほほっ、御二方は大武会を見に来られたのですかな?」
「おや、そう言えばそんな時期でしたっけ?」
大武会、別名超人王決定戦は、超人界全土から猛者の集まる魔王協会主催の武闘大会であり、超人界の貴重な観光資源でもある。
……折角ですし、参加してみましょうか?
「私にも何か武器、そうですね……、刀を見せて下さい」
「ほほっ、参加なさるので? それでは、これなど如何でしょう?」
そう言って店主は、一振りの刀を差しだした。
その刀は、相当な業物の様だった。
さらに、刀身が高純度のミスリルで出来ているらしく、手に取っただけでも、私の魔力を吸収して淡く発光している。
「ほほっ、銘は夢幻、大戦前に打たれたそうですが、殆ど逸話が無く、刀工の名も知られていないという、正に夢幻の如き刀で御座います」
第一次最終戦争で私が振るった神狩(かがり)や、カイルの持つ『根元故に無銘なる剣』に比べれば格は二つ三つ落ちて、『普通の伝説の武器』と言ったところですが、武闘大会で使うには、結局この辺りが丁度良いのです。
それさえ有れば、素人でも神を殺せる様な刀を、大会で振り回しても仕方有りませんからね……。
「買いましょう」
「ほほっ、一兆グリムになります」
さて、折角ですから永久や黒騎士にも参加してもらいましょうか?
大武会の受付に赴き、黒騎士の分まで登録を済ませた私達は、明日の予選に備えて宿に戻った。
「黒騎士、居ますか?」
「はっ! 此処に!」
「クロキシ、クロキシ」
宿に戻ると、空洞になっている黒騎士の中に、ピーちゃんが居た。
……居ないと思ったら、こんな所に。
「ただいま、ピーちゃん!」
「オカエリ、オカエリ」
永久が、黒騎士のフェイスガードを押しのけて出て来たピーちゃんに、挨拶をしている。
……夜色の全身甲冑の顔面から、骨だけの鳥が生えている様というのは、非常にシュールです。
「黒騎士、貴方も明日の大武会に出場することになりました。準備をしておきなさい」
「ハッ、了解であります!」
……心なしか、制御用仮想精霊式を組んだ当初よりも、黒騎士が情けなく見えます。
確かに、黒騎士の制御用仮想精霊式には、極めて高い学習機能がありますが……、酷使しすぎたのでしょうか?
いずれ、暇な時にでも解体してみましょう。
「御主人様」
夜、ベッドに仰向けに横たわっている私の上に乗って、血を吸っていた永久が、私の首筋から口を離して声をかけてきた。
……念のために言っておきますと、薄いながらも夜着は着ていますよ?
とは言え、私が求めれば、この子は拒まないのでしょうが……。
「どうしましたか?」
硬質な月の光が、永久の幼い肢体を淡く照らし出す。
その光は、見慣れた少女を幻想的に、そして何処か蠱惑的に飾りたてていた。
「明日の大武会、大丈夫でしょうか……」
永久が不安げに口を開く。
その様は、窓から差し込む月の光と相まって、酷く儚げに映った。
「大丈夫ですよ、蘇生術の使える医療部の魔術師もすぐ側で待機していますし、彼らでは無理な場合でも私が蘇生しますから。それに、永久に致命傷を与えられるような存在は結構限られてきますよ?」
負傷や苦痛には妙に無頓着な子ですから、そこにはふれなくても良いでしょう。
「はい、御主人様!」
そう言って、満面の笑みを浮かべた永久は、再び私の首筋に牙をたてた。
そうして私は、とろけるような快楽に身を任せ、眠りの淵へ落ちていった……。
翌朝、宿を出るときに主人が「ぐひひ、昨晩はどうでしたか、旦那?」と下品な事をのたまったり、客室の清掃に向かった従業員が「血、血が!」と叫んだり、厩舎で一人消えたりはしましたが、何事もなく大武会の会場にたどり着くと。
「さあ、今回で二千三百六十二回目となる大武会ですが、今回はどのような戦いを見せてくれるのでしょうか!?」
「選手の、皆様に、置かれましては、蘇生術が、使える、医療部の、魔術師が、待機して、おりますので、存分に、殺し合って、下さい、です」
テンションが高めの二十代前半の男と、文節ごとに区切って話す、十代半ばの、所謂ゴスロリ服に身を包んだ少女、二人の司会がルールの説明を始めた。
……第十二次最終戦争直後の第一回から司会をしている彼らも、恐らくは見た目通りの年齢ではないのでしょうが。
「申し遅れました、今回も司会は私、ファランクスと」
「人形遣いが、お送り、します、です」
「大武会は、参加者をA〜Hの八つのブロックに分けて行われる予選サバイバルと、各ブロックの勝者八名により行われる決勝トーナメントからなります!」
「勝敗は、勝者以外が、降参するか、死亡した、時に、決まります、です」
「さあ、時間も押して参りましたので……、」
「試合開始、です」
……さて、いつも通り人形遣いのやる気のない宣言で大武会予選サバイバルが幕を開けたのですが……、今大会の参加者数は過去類を見ない約十万人でした。
……と言うわけで、私の周りには一万人以上の超人が蠢いております。
次からは、予選のブロック数を増やした方が良さそうですね……。
「さあ、まずはAブロック! Aブロックには主催者である、魔王協会会長ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世様が参戦されています、どの様な……」
さて、早く片づけて他の試合でも見に行きましょう。
「秘剣・狂月」
抜刀、そして納刀。
一刹那の後には、予選サバイバルAブロックの会場に、私以外の人影は立って居なかった。
ただ、深紅の濃霧が立ちこめるのみ……。
「…………」
「蘇生班、出動、です」
まずは、永久の試合でも見に行きましょうか?
予選Dブロック、永久が参加している試合会場も、赤い霧に包まれていた。
大きく違うのは、Aブロックの霧は対戦相手達の血液(と微細な肉片)であったのに対して、この霧は永久自身の血液で構成されているという事でしょう。
霧を吸い込んだ対戦相手達が、次々に倒れていく。
永久はそれを見ながら、「すいません、すいません」と謝っている。
「蘇生班、出動、です」
……ふむ、今晩は貧血で倒れますね。
「ライトニングブレイド!」
……カイル?
彼は、本当に何処にでも現れますねえ……。
黒騎士は……、まあ良いか。
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
辞書?
「前大会の優勝者、辞書超人オメガ氏、今回も絶好調です!」
「オメガ氏は、本を、食べると、書いてある、知識を、自らの物に、出来ます、です」
後の三ブロックはもう良いでしょう。
さて、永久の看病の準備でもしましょうか?
「御主人様……、血……、血を下さい……」
「どうぞ、好きなだけ御飲みなさい」
「ありがとう……ございます……。御主人様……!」
血をねだる永久の腰に手を回し、所謂お姫様抱っこで抱き抱えると、私の首筋に牙を立てたまま眠ってしまった。
「ふにゅ」
因みに、永久が試合で使った魔術は、血霧の領域と呼ばれるものであり、使い勝手は悪くはないものの、使用後に貧血で倒れると言うどうしようもない欠陥があり、記述開発が打ち切られた経緯がある。
以前、半ば以上ジョークで教えましたが、まさか使うとは……。
そして、宿へ帰る道すがら。
「どうしましたか? 人形遣い」
何故かは知らないが、人形遣いが付いて来ていた。
「見つかり、ました、です」
彼女は魔術による偽装を解くと、話を切り出した。
「御願いが、あります、です」
彼女の話を要約すると、明日の決勝トーナメントがあっさり終わってしまうと、次回の参加者数や観客数に響くので、初戦はともかく、決勝や準決勝では適度に苦戦するふりをして欲しいというものだった。
「御願い、したいの、です」
「そうですねえ……、貴女が明日、猫耳付きスクール水着で司会をすると言うのならば、考えなくもありません」
当然の事ながら、この言葉は冗談だったのですが……。
「了解、です。早速、用意します、です」
人形遣いの姿が、かき消えた。
そう言えば、年齢の割にかなり世間知らずでしたねえ……。
翌日……。
「第二千三百六十二回大武会決勝トーナメントを、始めます、です」
人形遣いは、昨日私が言った通りに、スクール水着(胸には白い名札が付いており、だいぶかいしかいにんぎょうつかいと書かれている)を着用して、頭には猫耳が揺れていた……。
「抽選の結果、第一試合はルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス13世選手VSミーシャ選手の試合となりました!」
「試合、開始、です」
ファランクスが力強く対戦カードを読み上げ、人形遣いが無表情に試合開始を告げる。
巫女服(の様な物)に身を包んだ、猫耳の少女が刀を構えて立っている。
「ボクはミーシャ、猫耳超人ミケの末裔だよ、お兄さんは?」
ふむ、猫耳のボクっ娘ですか……。
取り敢えず、名乗り返しておきましょう。
「私はルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス13世、魔王協会の会長です」
念のために言っておくと、名乗らなければならないと言うルールない。
……両者の名前や経歴は、司会が解説する訳ですし。
「行くよ!」
少女――ミーシャ――は地を蹴り、一瞬で間合いを詰めた。
一閃。
ミーシャの刀が、私を凪ぐ様に振るわれた。
しかし、当然の事ながら、既にそこに私は居ない。
私は、私と彼女の位置関係が最初から逆だった、と世界に誤認させて一瞬前まで彼女が立っていた場所に移動していた。
「ねえ、お兄さん、どんな手品を使ったの?」
振り返ったミーシャが不思議そうに訪ねる。
しかし、それには答えずに小さく「門よ」と呟いた。
傍らに現れた人の頭程の黒い穴の様なものに手を入れて、彼女に尋ねる。
「所で、猫耳超人にはどうしようもない弱点があることを、知っていますか?」
すると彼女は急に慌てだした。
「ち、ちょっと待ってお兄さん! そ、それは卑怯だよ!」
私の言葉の意味が分かったようで、清々しい程の慌てぶりでしたが、そんな事は気にせずに。
「残念ながら、大武会にはその様な規定はありません」
私は、笑いながら穴から「ある物」を取り出して彼女に投げた。
そして、三十分後……。
「にゃー、マタタビにゃー!」
……猫耳超人の弱点、それはマタタビや猫じゃらしと言った物に対して、「猫耳娘ならこういう反応をするよね」と言った反応をしてしまうこと。
……第十二次最終戦争時、一部の敵拠点には猫耳超人対策のマタタビが常備されていたとか。
「さて、降参してくれませんか? この状況からスプラッタショーはご遠慮願いたい」
大武会の勝敗は死亡、若しくは降参によってのみ決定されるので、このままでは彼女をなます切りにしなくてはならない。
「う、うん、降参だよ。ボ、ボク、お兄さんの子供なら産んでも良いから……」
ミーシャは、はっとして起きあがると妙なことを言い始めた。
「あ、あの、ボクの一族には負けた人のものにならないといけないって言う掟があって、だ、だから愛人……、あるいは玩具でも良いから側に置いてくれないかな、っていきなりだよね」
ミーシャは慌ててまくし立てる。
先ほどまでマタタビによって転げ回っていたため、彼女の衣服は所々はだけていて、妙に艶っぽい。
さて、どうしましょうか?
「抽選の結果、第二試合はカイル選手VSピテト選手の試合です! カイル選手は、全長十五メートルの巨体にどう立ち向かうのでしょうか!」
「試合、開始、です」
闘技場では、全長十五メートルの巨人と、大剣を構えたの青年が向かい合っていた。
巨人が盛んに殴りかかるも、青年は無駄のない動きでその全てをかわして、一発たりとも当たる気配はない。
……まあ、大きいとは言っても、彼がこれまでに戦って来た竜魔王ドラゴや、魔王協会亜空軍第一主力艦隊旗艦アマリリス二世とは比べるべくもないですから、カイルが負ける様な事はないでしょう。
そんな事よりも問題は……。
「えっ! こんな小さな女の子を連れてるなんてお兄さんって、もしかしなくてもロリコン?」
「あの、こんな外見ですけど一応、百年以上は生きているんですよ?」
確かに、永久の外見年齢は十二・三歳で止まって仕舞っている上に、精神年齢も外見相応か、あるいはそれ以上に幼いとは言え、彼女も今年で百八歳、ごく一部の種族――肉体、精神共に成長が極度に遅い種族も存在するが、永久の場合は単に幼い状態で肉体の成長が停止しているだけなので、これには含まれない――を除いて、子供扱いをされる様な年齢ではない。
「大体、君はお兄さんとどんな関係なの?」
「永久は、遠縁の……」
親戚で、と言おうとした瞬間、その言葉は永久によって遮られた。
「私は、御主人様の奴隷です!」
……嘘も間違いも含まれていないだけに、弁解のしようがない。
ついでに言っておくと、詳しい説明は省きますが、私が言おうとした遠縁の親戚云々も一応真実ではあります。
「な、な、なっ、なんてプレイを強要してるの! こんな幼い子に!」
ミーシャが、顔を真っ赤にして金切り声をあげる。
……さて、どうしましょうか?
私達が騒いでいる間にも、試合は順調に進展していた。
「ふん! 小僧、中々やりおるな!」
「貴様こそ!」
巨人ピテトが笑い、カイルが返す。
どうやら、戦って友情が芽生えたらしい。
……愛情に発展しなければ良いのですが。
そんな、どうでも良い事を考えながら、紅茶を口に含む。
「御主人様が望めば、(検閲により削除)だって悦んでしてみせます!」
……そんな事を、大声で叫ばないで貰いたい。
「ち、ちょっと! お兄さん! 何をしたの!」
……実は、私にも分かりません。
昔は、もう少し普通だった様な……、あれ? 昔からでしたっけ?
永久の、私に対する信仰――それも狂信――としか言い様のない感情が何処から来たのか、私は知らないのです。
いつの間にか、こうなって仕舞ったとしか言い様がないのだ。
それが、彼女の本質なのだと言ってしまえばそれまでですが……。
「御主人様、どうなさいましたか?」
つい、考え込んでしまったらしい、永久が心配そうに顔を覗き込んで来る。
「はっ! まさか、(以下、検閲により削除)」
ミーシャが真っ赤になって、暴走し始めたので。
「永久、逃げますよ」
こう言う時は、逃げるに限る。
「はい、御主人様!」
そこは、遙かな虚空の領域。
そこには、確とした足場すらなかったが、その場所に降り立った二人には、その様な事は問題にもならない様だった……。
「空から観ると、また違った趣がありますね」
「はい、御主人様!」
あの後、私達は闘技場の上空に転移した。
ここならば、永久と二人でゆっくりと観戦出来ます。
「そろそろ終わりますよ、御主人様」
永久の言葉通り、地上ではカイルがピテトの首をはねていた。
……このルールはどうにか成らないものでしょうか。
蘇生するとは言え、相手が降参せずに気絶してしまった時などに相手を殺さなくてはいけないのは、何かが間違っている気がしてならない。
「御主人様、次の試合が始まりますよ!」
再び地上を見ると、二人の選手が向かい合っていた。
「黒騎士と……辞書超人オメガでしたっけ」
「はい、御主人様! そう言えば、黒騎士は強いのですか?」
そう言えば、永久の前で黒騎士が戦ったことはありませんねえ。
「ええ、あれでもリビングアーマーとしては最強クラスの筈です」
いくら雑用にこき使っているとは言え、現存する最強の装甲材であるヨルイロカネで造った鎧に、剣の達人達の戦闘データをインストールしてある以上、弱いはずがない。
「でも、負けていますよ?」
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
ヨルイロカネを紙の辞書でへこませるとは……。
まあ、魔力で辞書を強化しているのでしょうが……。
因みに、この魔力ですが世界によって結構呼び方が違って、超人界ではスペースエナジーと呼ばれているとか。
「……死にましたね、黒騎士」
「はい、御主人様!」
黒騎士は、何処が頭なのか腕なのかも分からない様な、歪な球体になっていた。
……後で直さなくてはいけませんね。
「永久、次は確か貴女の試合です。頑張ってきなさい」
「はい、御主人様! 行って参ります」
永久は一礼すると、呪文を唱えて控え室に移動した。
地上では、永久と対戦者が向かい会っていた。
「小さな女の子とは言え、ここで会った以上手加減はせぬが、良いのか?」
表皮がオリハルコンに置換された超人が、その外見には似合わぬ礼儀正しさで問いかける。
「はい、御主人様に応援されてしまいましたので」
永久は満面の笑みで答えた。
「ふむ、小気味よい!」
超人――因みに名前はコジロウ――は一瞬で間合いを詰めて、手刀を突き出した。
手刀は抵抗なく永久の胸に突き刺さる。
「我が皮膚はオリハルコンで出来ておる故に、あらゆる攻撃を弾くのみならず、この様に武器として用いることも出来る」
コジロウは説明を終えると、手刀を引き抜いた。
その手には、未だ脈動を続ける真っ赤な心臓が握られていた。
「すまぬな……」
コジロウが永久に背を向けて、勝利のアナウンスを待っていると……。
「表面がどれだけ堅くても、中は柔らかいお肉ですよね?」
胸に穴が空いたままの永久が、あろう事か平然と立って話していた。
「馬鹿な! 確かに心の臓を!」
コジロウは、あり得ない物を見たかの様に叫んだ。
「えっと、その、産まれた時から体に欠陥があって、ほとんど魔力で動かしているので、内臓を一つ二つ持って行かれても結構平気なのです!」
会場の全員が絶句した。
見ると、胸の穴もいつの間にか塞がっている。
「……永久、心臓が無いまま再生すると後が面倒ですよ」
私は、上空で頭を抱えていた。
私の苦悩など知るはずもなく、試合は続いていく。
「大地さん、闇さん、力を貸して下さい」
永久が、大地と闇の精霊の力を借りて重力結界を発生させる。
因みに、永久は産まれながらに精霊や幽霊と言葉を交わし、その力を借りることが出来る、天然の精霊使いと呼ばれる珍しい存在なのですが……。
「あの、そんなに張り切らなくても……」
……普段は、自らの肉体と精神を媒介に、意志を持たない魔力を術式を用いて制御する、魔王協会軍正式採用汎用術式と呼ばれる方式を使い慣れているせいか、あるいは精霊達に好かれ過ぎているのか、彼女が精霊魔術を使うと、効果が大きくなり過ぎるきらいがあった。
結局、オリハルコン箔の様に薄くなったコジロウを見て、ファランクスは永久の勝利を告げるのだった。
宿に帰ると、――まあ、何となく予想はしていましたが――ミーシャが仁王立ちしていた。
「お兄さん、ボク探したんだよ?」
表情は笑顔だが、目が笑っていない。
「取り敢えずは部屋に移動しましょう、話はそれからです」
部屋に入っても、相変わらずミーシャは三白眼でこちらを睨んでいる。
「ここを探すの、すっごく苦労したんだよ、お兄さん?」
彼女を納得させるのは難しそうだったので、取り敢えず、用事を済ませてしまう事にする。
「永久、脱ぎなさい」
「はい、御主人様!」
私の言葉に従って、永久の幼い裸身が露わになる。
起伏の少ない滑らかな体には、傷一つついていない。
……少なくとも表面上は。
「なっ! ひ、人が見ていても関係ないって言うの! お兄さんの変態! 永久ちゃんも、なに素直に従ってるの!」
見咎めたミーシャが喚く。
……面倒ですが、説明しておきましょう。
「どの様な勘違いをしているのかは概ね予想がつきますが、治療をするだけです」
表面上は何もない様に見えても、抉られた心臓は再生していない。
心臓は、生物学的には全身に血液を送るポンプに過ぎないが、魔術的には存在の核となる重要な部位である。
そのため、心臓が失われた場合、魔術で再生するよりも、科学的に培養した心臓を移植する方が遙かに容易なのである。
その様な事を、訥々と説明した所……。
「何となく分かったけどさ、ここで手術する気なの? お兄さん?」
取り敢えず、納得はしてくれた様である。
「ええ、多少雑にしても問題有りませんから」
適当に開いて心臓を入れてしまえば後は勝手に再生する上に、通常の対策で防げる様な病原体では永久に害を与える事など出来ない以上、わざわざ重苦しい設備を準備する意味などない。
「さて、そろそろ始めましょうか?」
「はい、御主人様!」
携帯用の培養槽に入った永久の心臓のクローンを取り出すと、永久の体にメスを入れる。
「はうっ……」
永久が、体を切り開かれる激痛に声を上げた。
本来心臓が有るべき所では、自己修復した血管が歪な形で固まっていた。
勝手に再生する皮膚や筋組織を引き千切りながら、血管の固まりを取り除き、代わりに先程取り出した心臓を埋め込むと、ものの数秒で切開の痕は消えてしまった。
「永久、終わりましたよ」
「ありがとう御座いました、御主人様!」
手術の終了を告げると、永久は裸のまま私に抱きついて血を啜り始めた。
「お、お兄さんの変態!」
ミーシャが喚いて走り去っていった。
「行ってしまいましたね、御主人様……」
「ええ、結局何をしに来たのでしょう? それはさておき、服を着なさい」
このままでは、目のやり所に困ります。
……何故か、凝視していても問題がない様な気がしますが。
「はい、御主人様!」
永久は素直に夜着に着替えると、吸血を再開した。
おや? 先程のメイド服が脱ぎ捨てたままになっている。
いつもは、誰かが片付けていたはずですが……。
……何かを忘れている様な気がして来ました。
「どうなさいましたか、御主人様?」
つい、考え込んでしまったようで、永久が吸血を中断して上目使いに尋ねてきた。
「いえ、何かを忘れている様な気がして。永久は何か思い当たりませんか?」
「そう言えば、もう一人居たような気がします」
永久も一緒になって首を傾げるが、結局、思い出すことは出来なかった。
翌朝、変わり果てた姿の黒騎士(歪な金属球)が宿の前に転がっていましたが、それはまた別のお話。
「抽選の結果、準決勝第一試合はルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世選手VSカイル選手の試合となりました!」
「試合、開始、です」
ファランクスと人形遣いが試合開始を告げる。 ……因みに、今日も人形遣いは猫耳とスクール水着着用である。
私は、十メートル程の距離でカイルと向かい合っていた。
人形遣いの頼みもあるので、大会を盛り上げるために多少なりとも苦戦をして見せた方が良いのだが、彼の場合には一撃で消し飛ばす事は容易であっても、正面から戦って勝つとなると途端に難易度が上がる。
これは、彼の持つ「勇者」と言う属性に因るものなのだが、ここでは割愛する。
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世! ここで会ったが十年目、今日こそは貴様を滅ぼしてくれる!」
彼は啖呵を切ると、あたかも水晶の如く透き通る刀身の大剣を抜き放った。
百年目ではなく、敢えて正確な年数を出す辺りが彼らしい。
思い返せば十年前、その瞳に悪を討ち滅ぼすと言う信念を漲らせていた初々しい十歳の小さな勇者の姿が懐かしい。
因みに、当時の彼は永久に惚れていた様で、それは、彼が永久に嫌われている原因の一つなのですが、これはまた別のお話。
「始原の剣よ!」
カイルが剣に魔力(気合い?)を込めると、剣は虹色に輝きだした。
彼の剣は、最初に創られた神器であり、他の物と区別する必要がなかったが故に名付けられなかった、と言う逸話がある。
逸話の真偽は定かではないが、私すら起源を正確には知らない様な古い剣である事は間違いない。
「千裂斬!」
カイルは一瞬で間合いを詰めると、人間とは思えない速度で剣を振り回す。
……彼も人間をやめて来ましたね。
因果の糸を用いて先程の攻撃を「無かった事」としつつ、牽制に存在否定攻撃を放つ。
存在否定攻撃は対処こそ比較的容易であるが、その対処を怠れば即座に消滅してしまうため、牽制としては有用である。
カイルと世界の因果を断とうとしていた制御用仮想意識は一瞬で消滅したが、カイルの動きをほんの一瞬だが止めることに成功した。
私は一瞬の間隙に無限熱量を内包した閉鎖空間を放つが、知覚不可能なはずの閉鎖空間はカイルの気合いで弾道を反らされて、観客席との間にある空間断絶障壁に触れて異界に消えた。
……身体能力と気合いのみで世界率干渉型魔術に対抗する様は到底人間とは思えなかったが、それでも飢えと乾きには勝てなかったらしい。
あれから三日三晩戦い続けた後、カイルは餓死した。
……永久が血に飢えて観客やミーシャを襲っていなければ良いのですが。
「決勝進出おめでとう御座います、御主人様!」
永久は私に駆け寄ると、首筋に顔を埋めて血を啜りだした。
予想道理と言うべきか、相当に飢えていたらしく、直ぐに貧血で動けなくなってしまった。
「行って参ります、御主人様!」
私を行動不能にした永久は、闘技場に駆けていった。
確か、次の試合は、永久と辞書超人オメガの試合だった筈です。
……つい先程、ようやく思い出しましたが、あれは技術部のマッドサイエンティストとマッドソーサラー達が、予算対効果を完全に度外視して造り上げた、最強の最終決戦用超人の一体だった筈です。
その力は、並みの神や魔王では太刀打ち出来ない程……。
たとえ人格が崩壊していても構わないので、とにかく優秀な人材を基準にスタッフを集めただけあって、しばしばこう言った暴走をするのですよねえ……。
そんな化け物を相手に、永久がどれだけ戦えるのか、心配な反面、彼女の魔術の師としては、少しばかり楽しみでもある。
……この展開は予想しておくべきでした。
オメガの辞書は永久の肉を抉り、永久の魔術はオメガの表皮を貫く。
互いに全力で傷つけ合うが、どちらも次の瞬間には完全に再生してしまい、ダメージの蓄積は一切無い。
魔力量に限界がある以上、永遠に続く事はありませんが……。
……このペースであれば、二百年程度でしょうか?
永久の「飢え」も、戦闘行動に限れば、大した問題にはなりませんし……。
不毛な戦いを繰り広げている二人はさておいて、私の試合の間、永久に血を吸われていたらしく、恍惚の表情で倒れているミーシャは、どう致しましょう?
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世か?」
医療班にミーシャを預けて一服していると、背後から声がかかった。
……一々、意味もなくフルネームで私を呼ぶ人は一人しか居ませんね。
「どうしましたか、カイル?」
振り向くと、予想道理の顔があった。
「いや、特に用がある訳でもないがな」
そう言いつつ、私の隣に腰を下ろす。
「取り敢えずは、御茶でもいかが?」
空間から茶器を取り出し、二人分の御茶を淹れる。
「美味いな」
「それは重畳」
これと言った会話もなく、しばし茶をすする。
やがて、カイルが口を開いた。
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、御前達は結局何がしたいんだ? 魔王を名乗り、神に敵対しながらも、時には世界を守ろうとしている様も見える。長年御前達と戦ってきたが、未だに分からない」
この勇者、真面目な話も出来たのですねえ……。
「魔王協会が全体として何を目的としているのかは、もはや私にも分かりませんが……、私自身は、かつての同胞達が望んだ、この歪な楽園を守りたいだけです」
そう告げると、私は御茶を一口すする。
「かつて私達は、古き神々の用意した、自然で、それ故に残酷な終焉を否定して、代わりに優しくも、歪な楽園を望みました。この世界は既に狂気の中……」
あの時、私達は一つの正しい運命を否定した。
「何を言っているのか、いまいち分からないが?」
「いずれ、嫌でも分かりますよ。貴方は、次なる終焉の物語の主役なのですから」
カイルは、まだ不満そうな顔をしていましたが、もう話す事など無いと言わんばかりに、私は話を締めくくった。
……と言うよりも。
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
「加速術式五番を凍結、障壁術式一番を出力最大で緊急起動!」
……闘技場で行われている、不毛極まりない試合を観ていると、真面目な話をしているのが、馬鹿らしくなってしまっただけですが。
と言うか、いかに規定とは言え、三日間続いた試合の直後に、また延々と続きそうな試合を行うのは、どうかと思いますよ……。
「所でカイル、観客への飲食物や寝具の配布を手伝っていただけませんか? 裏方業務の過酷さに、雑用として雇った現地スタッフの大半が、逃亡してしまいました」
小遣い稼ぎに来た連中はともかく、今回の給金が出なければ、飢えて死ぬしかない者達までもが、続々と逃亡を始めるとは……、一体何があったのでしょうか?
「何故、俺がそんな事をしなければ……」
「時給、出ますよ」
「喜んでやろう!」
行く先々で依頼を受けて生計を立てるも、情に流されて無報酬で働くことも少なくないカイルは、常に金欠に苦しんでいるらしく、時給の話を出すと直ぐに了承してくれた。
と、その時、背後から声がかかった。
「お、お兄さん! 永久ちゃんだけじゃ飽きたらず、男にまで!」
治療が終わったらしいミーシャは、出てくるなりとんでもない勘違いをしていた……。
結局、何故か付いてきたミーシャも加えた三人で、眠ってしまった観客に毛布を掛けたり、目を血走らせて観戦している観客に飲み物を渡したりと言う雑用をこなした。
なお、僅かに残っていた現地スタッフや、彼らの指揮監督に当たっていた超人界支部支部長は、過労で気絶していたので、そっとして置いた。
永久とオメガの試合は、未だに終わる気配がない……。
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、貴様はどちらが勝つと思う?」
「魔力の総量で勝っている以上、いずれオメガが勝つでしょう。……終わるのは、推定二百年後ですが」
十日後、永久とオメガは未だに戦い続けていた。
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、まさか、このまま続ける気か?」
二百年と聞いて、流石に焦りを見せるカイル。
観客は、とうの昔にだれて居ますしねえ……。
「そろそろ、試合を終わらせるための処置が執られる筈ですが……」
加速術式零番――熱量の発生を目的とする、壱番以降の術式とは異なり、あらゆる事象の加速を行い、結果的には時間を加速したように見える術式――を用いて、試合を早期終了させるはずだ。
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、そんな便利な物があるなら、もっと早く使え!」
「地の文に、突っ込まないで下さい。試合結果に、全く影響が出ないとも言い切れませんから、使わないに越したことはありません」
もっとも、そこまで厳正な試合結果を求める必要も、ない気はしますが。
待機していた魔王協会の魔術師達が、呪文を唱え始めると、戦闘が急激に加速した。
……何と言うか、ここまで早くなるとギャグですね。
約三十分後……。
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
どうやら、オメガが勝利したらしい。
さて、干からびた永久を回収しましょうか?
「ふにゅ……。もう、戦うのはこりごりです……」
先程の試合で魔力を使い尽くした永久が、私の首筋から血を啜りながら、そんな事を呟いた。
……まあ、確かにあれはトラウマものですね。
因みに、あの様な高い再生能力を持った相手と戦う場合、再生を許さない程の短時間で体組織の全て、ないしは大半を破壊する戦法が基本戦術となります。
……まあ、今回は双方共に火力不足だったせいで、随分と長引いてしまった様ですが。
さて、明日の試合は、あまり長引かせない様にしましょう。
翌朝。
「大丈夫ですか、御主人様?」
昨日とは打って変わって、すっかり顔色の良くなった永久が、上目使いに尋ねた。
昨晩、魔力を使い尽くした永久に、血を吸い尽くされたせいで、どうにも足下が覚束ない。
とは言え、今日の決勝戦で不様な戦いをすると、次大会の集客率に影響が出ますね……。
……まあ、昨日まで十三日間、休憩無しで戦い続けていた以上、今更と言えば今更ですが。
「大丈夫、……取り敢えず体は動きます」
「はい、御主人様!」
永久が抱きついて、首筋に牙を立てた。
……まだ、吸い足りないのですか?
「さあ、いよいよ……」
「決勝戦、です」
「対戦カードは、魔王協会会長ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世VS辞書超人オメガ!」
ファランクスと人形遣いが、決勝戦であることを告げるが、昨日までの泥仕合のせいか、観客はすっかりだれている。
「試合、開始、です」
「ルーツとやら、重病人にしか見えぬが、容赦はせぬぞ!」
どうやら、私の顔色は相当に悪いらしい。
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
しかし、オメガは宣言通り、その様な事は一切気にせずに、辞書で殴りかかって来た。
「通す物無き盾」
その一撃を、私は矛盾の逸話に由来する魔術障壁によって防いだ。
「刀は抜かぬか?」
オメガは、私の腰に差した夢幻に目をやる。
「私の抜刀術はただの趣味でして。最終決戦使用の超人など、相手に出来ませんよ」
……そんな事よりも、貧血で足下が覚束ない。
「そうか!」
オメガは障壁を破れないと悟ったのか、距離を取った。
「通さざる無き矛」
私は好機とばかりに、先程の障壁と対を成す、不可視の矛を放った。
しかし、矛はオメガの胴を貫くも致命傷とはならず、オメガは再び距離を詰めようと、足の裏から火を吹いた。
……超人のトンデモ体質には、もう慣れました。
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
オメガは、辞書により多くのスペースエナジー(魔力)を込めると、再度殴りかかって来た。
私は、存在確率の改変によって、その攻撃を避けると、オメガを滅ぼすための術式を組み始める。
それは、異形の奇跡。
それは、古く忌まわしき神の御技。
それは、煉獄の劫火の名を冠された断罪と終焉……。
かつては、忌み嫌った力ではあるが、オメガの様な存在を相手取るのであれば、最も有効な手段である。
「灼け」
必要なのは、その一言。
否、本来であれば、それすらも必要ではない。
ただ、私が望むだけで、私の血脈に刻まれた、創世の奇跡と対を成す、終焉の劫火は敵を灼き滅ぼすだろう
何故なら、私の意に添わぬモノが消える事は、世界の望みでもあるのだから……。
まあ、それはさて置いて、当然の事ながらオメガは燃えていた。
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
……最期の雄叫びも、ディクショナリーなのですか。
やがて、オメガは灰さえも残さずに消え去った。
「優勝者は、魔王協会会長、ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、です」
人形遣いが、無表情に私の優勝を告げる。
ファランクスは、ミーシャや永久の子守をしてくれている様だ。
観客は……、何故か目が虚ろです。
「優勝、おめでとう御座います、御主人様!」
「お兄さん、おめでとう」
「これより、表彰式の、準備を、行います、です」
「貴様を倒すのは俺だ!」
司会席に戻ると、永久達の祝福の言葉が待っていた。
……いえ、後半の二人は微妙に違う気はしますけど。
……それに、何人か忘れている様な気がします。
しかし……。
「御主人様!」
「あ、あの、お兄さんの子供を産むって話だけど……」
「…………」
永久は私の首筋に飛びつき、ミーシャは有耶無耶になってしまった幾つかの事柄に抗議し、人形遣いは無表情に表彰式の準備をしている。
この、混沌とした活気の中では、あの様な些細な疑問など、いつの間にか忘れてしまうに決まっているのだから。
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、もしや、この謎空間が貴様の望んだものなのか?」
カイルは、意外に鋭い直感で私達の悲願を見抜いた様だ。
最も私は、その正解に対して、ただ微笑みを返すだけなのですが。
因みに、その後復活したオメガは、準優勝の副賞として表彰式で手渡された、時空転移魔術の奥義書を雄叫びと共に貪り、時空転移魔術の奥義を修得していた。
……いつの間にか、永久に血を吸い尽くされていたファランクスと、以前オメガに丸められたままだった黒騎士の治療・修復が必要だったことも付け加えておきましょう。
こうして大武会が幕を閉じた後、私達は大武会の賞品や副賞と共に、他にみる物もない超人界を後にした。