魔法少女永久_まとめ読み

01

「はい、今回は永久の視点ですよ」
 御主人様は、よく分からない事を言うと、何とも形容し難い『何か』を私に手渡した。
 それは、水薬の様であり、抉られた眼球の様でもあった。
 あるいは、カメラなのかも知れないし、丸薬なのかも知れない。
 天使の内蔵の色でもあり、透き通る夜空の色でもあった。
 ……飲めば良いのでしょうか?
 それでも何故か、御主人様が私に何かの役割を振ろうとしているのは理解出来た。
 ならば、私が返す言葉はただ一つ。
「はい、御主人様!」
 御主人様は優しく微笑むと、慈しむ様に私を撫でた。
「ふみゅ」
 心地良い手の感触に、思わず声が出てしまう。
 そして、食欲とも性欲とも取れない衝動が促すままに、御主人様の首筋に牙を立てた。
 喉を潤す血潮は、並ぶ物無き至上の甘露。
 私の様なダンピール(人間と吸血鬼のハーフ)は、血をすする事を嫌う者も多いらしいですけど、どうしてこんなにも美味しい物が嫌いなのでしょう?

「ところで御主人様、これは何なのですか?」
 しばらく後、先程の『何か』について御主人様に尋ねる事にしました。
「それは、視点と呼ばれるモノで根元定理の一端です。一目見て分からない場合は説明しても分からないので、性質については割愛しますね。理解出来るか否には立場や性格が関係しているようですが……、詳細は不明です」
 根元定理――世界によってそれぞれ異なる物理法則や魔術法則の根底にある、最も根源的な全ての世界に共通の法則――、御主人様の言葉を信じるのなら、この不可解な『何か』はその一部らしい。
 一目見て分からないのなら、説明しても分からないと言うのは、普通ならば偏見に過ぎませんが、根元定理に関してはそう言った事がしばしば発生しますから、御主人様が分からないと言うのなら、私には分からないのでしょう。
「はい、御主人様!」
 私が理解出来なくても、御主人様が理解しているのなら問題はない。
 恐らく、危ない物ではないでしょうし、たとえ危険物だったとしても、御主人様が下さった物なら構いません。

 その世界は、どこか冷たい感じがしました。
 無機質なビル群が立ち並ぶその世界では、魔術ではなく、科学が発達しているそうです。
 もっとも御主人様によれば、魔術も科学も本質は大差ないとの事ですが……。
 それはさておき……。
「御主人様、どうして遠巻きに眺められているのでしょう?」
 いつもの様に馬車でその世界に入ると、何故か、珍しい物でも見るかの如く、現地住民達が人垣を作っていました。
「……そう言えば、この世界で馬車はあまり一般的ではありませんでしたね。私達の服も、この世界の常識から見れば異常なはずですし……」
 言われて、自分達の服装を見回してみました。
 まず私は、御主人様の手作りで、フリルたっぷりのメイド服。
 次に御主人様は、随所に金糸銀糸の刺繍や紅玉の飾りをあしらった、風格ある純白のローブ。
 黒騎士は本体が鎧ですから、……全裸?
「大変です御主人様、黒騎士が全裸です!」
 文明化された社会では、一般に町中で裸体を晒す事は忌避されることが多のです。
 例え人造物と言えど、一定の知性を備える場合には、外装の上から更に衣服を着用させることが義務づけられている場合があります。
 それを怠った場合に責められるのは、基本的に道具である人造物ではなく、持ち主である場合が多いのです。
 ……黒騎士の所為で、御主人様が糾弾される事は避けなくてはいけません。
「いざとなったら、私が身代わりに……。あっ、それでも責められるのは保護者の御主人様で……」
「永久、黒騎士の事はどうでも良いのです、そもそも人格を持つレベルの人工知能が基本的に存在しない以上、人工知能の権利関連で責められる事はありません。そう言った事ではなく、ただ単に私達の服装が、この世界で一般的に着られている物ではない、と言うだけの事です」
 どうやら、思考が口から漏れていた様です。御主人様が私の勘違いを正してくれました。
「はい、御主人様!」
 言われてみれば、現地住民達の服装は、作業着からの派生と思われる物等、動きやすさを重視した衣装が大半を占めています。
 確かに、この世界に置いては私達の服装は異様なのでしょう。
「馬車と黒騎士を預けたら、服を買いに行きましょう」
 郷に入りては郷に従え。
 この世界の衣服を着てみるのも、また一興でしょう。
「はい、御主人様!」

 この世界に、馬車を預けられる宿はまず無いだろうと言う事で、馬車と黒騎士を魔王協会の支部へと預けた御主人様と私は、近くのお洋服屋さんに足を運びました。
「御主人様、これはどうでしょう?」
 今私が着ているのは、たくさんフリルが付いた黒いドレス――ゴシックロリータと言うそうです。
「よく似合っていますよ。やはり、永久には人形じみている位が似合いますね」
 私が悩んでいる間に、手早く選んだスーツの一着に身を包んだ御主人様は、優しく微笑んでいます。
「ありがとう御座います、御主人様」
 御主人様の言葉は、ただ単に私の容姿に対する評価でしょうか? それとも、私達の関係は、人形と持ち主のそれだと、暗に告げたのでしょうか?
 後者ならば、とても嬉しく思います。何故なら、人形は愛される物だから。例え、飽きれば捨てられてしまうとしても、そこには確かな愛があります。だから、私は人形でありたい。

「会長、お伝えしたい事があります」
 服を選び初めてからしばらく経った頃、先程馬車を預けた魔王協会支部の支部長が、何故か店にやって来ました。
「聞きましょう。手短に話しなさい」
 しかし、話しを持って来たらしい彼は、御主人様の快諾を得たにも関わらず、なにやら口ごもっています。
「いえ、その……、ここでは少し人目もありますので……。非常に申し訳御座いませんが、少し場所を変えさせて頂いても宜しいでしょうか?」
 どうやら、あまり他人には聞かせたくない類の話しの様です。
 もっとも、ここの支部長はどうにも小者っぽいので、格好付けで言っているだけかもしれませんけど。
「永久、すぐに戻ります」
 支部長は御主人様を連れて、魔王協会支部の方へ歩いて行った。

「な、何だあれは!」
「お母さーん!」
「ヒィーッッ!」
 御主人様達が店を出て行った後、突如として異形の蜂が店に押し入って来ました。
 人の背丈ほどもあるその蜂は、どうやら死者の魂を核とした魔法生物の様です。
 ……正直、造りがものすごく雑に見えます。随時新しい魂を取り込んで、破損個所の修復に当てなければ、三日と持ちそうにありません。
「ワーッ!」
「警察……、いや、軍に連絡を!」
 殺して魂を奪う気なのか、鉄パイプの様なお尻の針を、見境なく撃ちまくっています。
「支部長のお話って、これの事でしょうか?」
 そんな事を呟きながら針を避けていると、うっかり足が滑って、丁度針に当たりそうだった子供を庇う様な形になってしまいました。

 …………? 何故か針が来ません。
「これは……、時間停止?」
 世界の全てが停止しています。誰かが時間停止の魔術を使用した様ですが……、御主人様にしては術式が雑な感じがします。もしかして、支部長でしょうか?
「貴女の心意気、見せて貰ったわ!」
 答えは、意外な所からもたらされました。
 着せかえ人形の様なサイズの小さな天使、どうやら、時間停止の魔術を使ったのは彼女の様です。
「さあ! このプリティーバトンで魔法少女に変身して、亡霊獣と戦うのよ!」
 彼女は、私の話など聞こうともせずに、プリティーバトン――先端にハートをあしらった、子供向けの玩具にありそうなバトン――を渡すと、そんな事を宣った。
「もうすぐ時間停止が解けるから、プリティーバトンを掲げて『プリティーチェンジ!』と叫ぶのよ!」
 ……まあ、良いか。
 その数秒後、世界が動き出した。
「プリティーチェンジ! ひゃっ」
 取り敢えず、プリティーバトンの始動キーを唱えると、突然光と共に服が弾け散った。
 しかし、それがプリティーバトンの効果なのか、肌を衆目に晒す前に魔力で精製された衣服が私の肌を覆っていく。
 やがて、光が収まると、私は白を基調とした衣装を身にまとっていた。
「ひゃう!」
 いつも、露出の少ないメイド服を着ているので、ミニスカートは気恥ずかしいものがあります。
「さあ! 亡霊獣を……」
「汝、神を貫く閃光」
 天使の少女が何か言いかけるも、それよりも早く背後から放たれた閃光の槍により、亡霊獣――巨大蜂――は葬られました。
「被害が無くて何より。ところで永久、その様な服はこの店にありましたか?」
 背後では、亡霊獣を一撃の下に葬り去った御主人様が、優しく微笑んでいました。

02

「なるほど、支部長からの報告とも一致しますね」
「は、はい。あの、そろそろ縄を解いては……」
 ここは、魔王協会支部の応接室。
 何故か御主人様が、前回登場した天使――大きさから妖精の類かとも思いましたが、天使で間違いない様です――を縄で縛り上げて尋問しています。
「まあ、良いでしょう。……どのみち解いても逃げられませんし」
 尋問が終わったのか、(微妙に黒い事を言われながらも)天使の縄が解かれました。
「ひっ、こ、殺す気ですか!」
「それも良いですね」
 天使が、大袈裟に身を震わせます。
 そう言えば、どうして彼女は尋問されているのでしょう?
「御主人様、どうして彼女を尋問しているのですか?」
 御主人様は、私の方に振り向くと偶像の様に優しく慈悲深い笑みを浮かべながら言いました。
「実は、ただのノリです」
「はい、御主人様!」
 ノリでしたか。
「ノ、ノリって何ですか! ノリって! それに、永久ちゃんも何で納得してるんですか!」
 天使の少女――そう言えば、まだ名前を聞いていません――が大声でツッコミました。
 何かおかしな所があったのでしょうか?
「永久にその辺りを期待しても無駄ですよ? そもそも、魔法少女の選考基準の一つでもある『純粋である』と言うのは、裏返せば『人の話を信じやすい』と言う事でもありますから。特に、永久は私の言う事なら何でも無条件に信用する所がありますから……」
 御主人様が、どこか嘲る様に言いました。
「そ、そこまで単純じゃ……」
 ありません、と続ける前に、御主人様が割り込みました。
「永久、彼女は敵対勢力の刺客だから、殺してしまいなさい」
「あ、はい。では、手足の爪を一枚ずつ剥がして(以下検閲により削除)」
 御主人様の命を狙うなんて、考えつく限りに残酷な死を与えなくてはいけません!
「と、まあこの様に」
「な、なるほど……」
 天使の少女は、御主人様の言葉に納得して頷いた。
「はえ?」
 一体、何を納得したのでしょうか?
「永久は分からなくても良い事です」
「はい、御主人様!」
 御主人様が言うからには、私が理解出来なくても問題ないのでしょう。
「と言うわけで、あなた方の要求通り、永久を大魔界の霊体駆動式魔法生物、……あなた方が言う所の亡霊獣の駆除にお貸ししましょう。おや、どうしました?」
「い、いえ、この展開で了承していただけるとは思いませんでした。と言うか、永久ちゃんに確認を取らなくても良いのですか? そもそも、説明もしていませんよ?」
 御主人様が脈絡のない事を言ったかと思うと、どうやら先程尋問して聞き出した事への返答のようです。
 良く分かりませんが、亡霊獣と呼ばれていたモノ達を壊せば良いのでしょうか?
「確認するだけ無駄でしょう」
 御主人様は、ちらりと私に視線を向けると、信頼とも、落胆ともとれる表情で言いました。
「はい、御主人様!」
 御主人様が御望みなら、どんな事であろうと私に否はありません。
「……確かに、事後承諾で良さそうですね」
「でしょう?」
 何故か、先程も同じ様な事を言われていたような気がします。
 どうしてでしょうか?
「早速ですが、付近の海岸で霊体駆動式魔法生物が確認されました。駆除に行ってきなさい」
「はい、御主人様!」
 こうして、私は霊体駆動式魔法生物駆除を行う事になった。

「照準術式一番正常起動、誘導術式三番正常起動、加速術式二番正常起動。射出」
 照準術式と誘導術式によって制御された高電圧遊離気体――プラズマ――の火球は、巨大なタコを容易く焼き尽くしました。
「変身……、しないの?」
 天使の少女(未だに名前を聞いていない)が困惑した様に呟きました。
「はえ?」
 この世界では、戦闘時に変身するものなのでしょうか?
 答えは、海水浴客達が避難したビーチで一人くつろぐ、御主人様によってもたらされました。
「彼女が上司から受けた命令は『純粋な心を持った少女にプリティーバトンを託して、魔法少女として亡霊獣と戦わせる』ですから、変身せずに戦われると対面が悪いのでしょう」
「はい、御主人様!」
 どうやら、彼女にも事情があるよ
「ですから、次からは出来るだけあれを着てあげなさい」
「はい、御主人様!」
「確かにそうだけど、ぶっちゃけられると良い気はしないわね。と言うか、どうして貴方が付いて来ているのですか!」
「可愛い永久の初仕事、見に来ないわけにはいかないでしょう」
 どうやら、心配して下さった様です。
「ありがとう御座います、御主人様!」
「お、親馬鹿……」
 天使の少女は、疲れ果てたようにうなだれました。
 大丈夫でしょうか……?

03

「さて、ここまでノリと勢いだけで進めてしまいましたが、そろそろ永久にも事情を説明しましょう」
「はい、御主人様!」

 私達は大魔界製霊体駆動式魔法生物を退けた後、魔法少女が人目を避けるのはお約束という御主人様の言葉に従って、転移魔術でこの喫茶店に移動しました。
 因みに、天使の少女も、珍しく賛同してくれました。
「取り敢えず、自己紹介をしましょう。……ここに至るまで、一度も出来ませんでしたから」
「はい、御主人様!」
 確かに、そろそろ彼女の名前を知りたいです。
「……あなたが強引に、話を進めたせいだと思いますけど……、まあ良いです。私はリズエル、偉大なる創世神様に仕える天使です」
 固有名詞ではなく創世神と呼んでいる所を見ると、神威連合の神ではなく、この世界土着の神なのでしょう。
「私はルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、世界間組織魔王協会の会長をしています。ほら、永久も」
「はい、御主人様! 私は永久=桜乃小路=アイオーン、御主人様の愛玩用奴隷です」
「…………」
「…………」
 何故か、二人とも固まってしまいました。
「ま、まあ、間違ってはいませんが……」
「へ、変態! 愛玩用って、要するに……、その……」
 何故か、御主人様は額に手を当ててため息をつき、リズエルは御主人様に罵声をあびせてゴニョゴニョと黙り込んでしまいました。
 二人とも、どうしたのでしょうか?
「永久、愛玩用奴隷と言った場合、暗に性奴の意味を含んでいて……。いえ、面倒です。早く本題に入りましょう。リズエル、貴女も落ち着きなさい」
「なっ! 確かに、本人達が納得してるなら、他人がとやかく言うべきではないのでしょうけど……」
 自己完結しているリズエルを余所目に、御主人様はポツリと呟きました。
「……念のために言っておきますが、手は出していませんよ?」

「この世界は、神威連合・大魔界・魔王協会の丁度中間地点にあって、悠久図書館条約によって三大勢力の直接衝突を避けるための緩衝地帯に指定されていました。今回の事件の大枠は、条約を破ってこの世界に侵略を行った大魔界に対して、現地勢力が抵抗を行っていると言うだけの事なのです。本来であれば、魔王協会に所属する私達が表だって介入する事は望ましくないのですが、彼らのとった手段が魔法少女の選出による外部勢力――大魔界――の排除であり、永久がその魔法少女に選ばれてしまったため、ビフレスト条約――通称、物語条約――に従って、永久を現地勢力に貸し出さざるをえなくなってしまいました。何か理由を付けて神威連合も介入するでしょうし……。遠からず戦争になりますね……」
 一気に語り終えた御主人様は、紅茶を口に運びました。
「えっと、戦争……?」
 そう呟いたのはリズエル。
「はい、小競り合いで終わる様に手は回しますが……。最悪の場合も想定はしておいて下さい」
 御主人様は、再び紅茶を口に含むと、私の方に視線を移しました。
「それと永久、リズエルから渡された変身用アイテムを貸しなさい。改造します」
「はい、御主人様!」
 御主人様の言葉に従って、プリティーバトンを差し出しました。
「あ、やっぱり光属性の術式だと……」
 リズエルは、私と魔装具の属性の不一致を心配してくれた様です。
 確かに、私がダンピール(人間と吸血鬼のハーフ)である以上、光属性の魔術を使用すると少なからず副作用が発生しますが、決して耐えられない様なものではありません。
 それよりもむしろ……。
「いえ、それも無いではありませんが、ミニスカートだと何故か転ぶのです」
「…………」
 何時も丈の長いスカートをはいているので、ミニスカートだと歩きづらいのですが……。
 そんなにおかしな事なのでしょうか?
「恐らくは、歩行訓練時にロングスカートを用いたことが原因なのでしょうが……。しかし、水着は大丈夫ですし……」
 御主人様も、明後日の方向を向いてぶつぶつと呟いています。
 やはり、ミニスカートよりもロングドレスの方が歩きやすいというのは、おかしな事なのでしょうか?

「それで、どうして貴女がここに居るのですか? ……いえ、やはり答えなくても結構です。どうせ、魔法少女の自宅に居候する予定で、宿泊場所の手配をしていないのでしょう」
 ここは、魔王境界支部の一室、私達の滞在用にあてがわれた部屋です。喫茶店での会話の後リズエルは、何故か私達に付いて来ていました。
「し、仕方ないでしょう! 魔王協会の様な大組織と違って、私達の所は財政難なのですから!」
 でも、いくらお金がなくても、普通は派遣先での生活保証くらいしますよね?
「仕方がありませんね……」
 御主人様は、こめかみを押さえると内線をかけました。
「支部長、私です。空いている部屋はありますよね? ……いえ、そこで構いません」
 御主人様は電話を切ると、リズエルに言いました。
「リズエル、支部長に部屋を用意させました。しばらくすれば案内が来るので、ついて行きなさい」
「え? あ、ありがとう。……まさか、永久ちゃんといちゃいちゃするのに」
 何か言おうとしたリズエルですが、言い終わる前に案内の人(何故か全身黒尽くめ)に連れて行かれました。

04

「いただきます、御主人様」
 御主人様の、抜ける様に白い首筋に牙を立てる。
 口腔を満たす血は、屍肉よりも甘美で、聖典よりも苦く、そして月光よりも優しい味がする。
 夜着越しに感じる御主人様の体は、男性的な力強さと、女性的な柔らかさを兼ね備えていて、酷く心地良い。

 夜、御主人様の血を吸っていると、声をかけられました。
「永久、私は明日この世界を離れて神威連合との交渉に臨まなくてはいけません。恐らく、私が居ない間に襲撃があるでしょう。……と言うか、ビフレスト条約の規定で襲撃しなくてはいけないのですが。……まあ、それは心配していません。それよりも、私がいないからと言って、また関係のない人を吸い殺さない様にして下さい」
「……はい、御主人様」
 自信はありませんが、御主人様の意に添えるよう努力してみます。
 いざとなったら、リズエルから吸いましょう。
「……その間は何ですか?」
 御主人様は、何か言いたげにしていましたが、しばらくすると諦めた様に息を付きました。

 翌朝。
「何ですか、あの部屋は! あれは牢屋ではないですか!」
 私達は、リズエルの喚き声で目覚めました。
「普通の部屋が、図ったかの様に空いて居なかったのですよ……。一応、牢屋としては最上級ですよ?」
 御主人様が眠たそうに目を擦りながら説明します。
「た、確かに、異常に豪華だったけど……」
 言いよどむリズエル。御主人様は、話を続けます。
「あの時間では、ホテル等の外部宿泊施設を探すのも難しいのでね。まあ、ラブホテルの類で良ければ、ない事はないと思いますが……」
「ある意味、究極の選択ね……」
 結局、リズエルも納得してくれた様です。

 御主人様とリズエルが、話している間に着替えていると、何か言いたそうな顔のリズエルに御主人様が囁きかけました。
「おや、騒がないのですか?」
 彼女は、憮然とした顔で答えました。
「……着替えくらいで騒いでいると、身が持たない気がして来たの」
 諦めたかの様な口調のリズエル。
 着替えるのは、リズエルが居なくなった後の方が良かったのでしょうか?
「……まあ、確かに」
 御主人様は溜息をつくと、リズエルを窓から放り出して着替え始めました。

 着替えを終えた御主人様が居なくなって、紅茶を蒸らす程の時間が過ぎた頃、窓からリズエルが戻って来ました。
 小さな羽根を羽ばたかせて上って来た努力は認めますけど、普通に入り口から戻った方が楽だったと思いますよ?

「あれ、タンタロス会長は?」
 しばらくは息を整えていたリズエルですが、落ち着いて来ると、御主人様の不在に気が付いたようです。
「御主人様なら、神威連合との交渉に行きましたよ」
 御主人様が出掛けたことを教えました。
「嗚呼、成る程」
 リズエルは納得したのか、頻りに頷いています。
「と言う事は、会長はしばらく帰って来ないのよね?」
 やがて、頷くのを止めると、そんな事を尋ねて来ました。
「はい、会議の進行速度にも依りますが、数日はかかると思います」
 いくら何でも、神威連合の様な大組織が相手では、一日で終わるとは考えづらい。
「折角だから、少しお話しましょう? 私達、お互いの事をほとんど知らないもの」
 リズエルの言う通り、私は彼女の事を余り知りません。
 襲撃があるそうですけど、それまではする事もありませんし……。
「はい、構いませんよ」
 彼女とゆっくり話してみるのも、悪くは無いでしょう。

「そう言えば昨日、愛玩用奴隷とか言ってたけど、どう言う事?」
 リズエルと話していると、不意にそんな事を尋ねられました。
「そのままの意味ですよ? 私は、奴隷として御主人様に買われました。丁度、百年前の事です。そして、基本的には労働を課されていないので、愛玩用なのでしょう」
 特に隠す様な事でもないので、正直に答えます。御主人様がどう思っているのかは知りません。しかし、私が奴隷として買われたのは事実です。
「……ごめんなさい、悪い事を聞いちゃったわね」
 リズエルは、何故か黙って俯いてしまいました。
「はえ?」
 今の話に、落ち込む様な要素があったのでしょうか?
「……えっと。もしかして、全く気にしてないの?」
 気にする……? どう言う事でしょうか?
「だ、だって、人身売買なんて人を人とも思わない――いやまあ、私達は人間じゃないけど――最低の行為でしょう? 普通の生活を奪われて、商品として売り買いされたりしたら、普通はトラウマになってると思わない?」
 そう言うものなのでしょうか? 首を傾げていると、リズエルは諦めた様に溜息をつきました。

05

「そう言えば、永久ちゃんの魔法は、やっぱりタンタロス会長から教わったの?」
「はい、一般教養の一環として教わりました」
 その瞬間、リズエルは引きつった笑いを浮かべました。
「……魔法って、一般教養?」
「三級でも、取っておくと何かと便利らしいですよ?」
 収納用異相空間から、基礎魔法検定三級の合格証を取り出す。
 魔術・魔法技能者は多くの世界で優遇されます。
「……人選を間違えた気がするわ」
 リズエルは沈痛な面持ちで呟くと、顔を伏ました。

「永久様! リズエル特使! 一大事です!」
 リズエルと話し始めてしばらく経った頃、血相を変えた支部長が飛び込んできました。
「大魔界の魔法生物どもに包囲されています!」
 支部長の言葉を聞いて窓から外を見てみると、地上には大魔界の霊体駆動式魔法生物がひしめいていました。
「嗚呼、どうして会長が留守の時に! このままでは、このままでは、責任をとらされてしまう! はっ! 永久様とリズエル特使に押し付ければ……」
 ……支部長は自分の保身しか考えていない様です。とは言え、近隣常民への避難勧告や、非戦闘員の待避等、マニュアルに沿った適切な対応は中々に見事なものです。
「行くわよ! 永久ちゃん!」
 そんな支部長を気にした様子もなく、リズエルは私の手を引きます。
 ……わざわざ出て行かなくても、ここから魔法で砲撃すればいいのではないでしょうか?
 そんな事を考えながらも、リズエルに引かれるままに戦場に向かうのでした。

「来たわね、魔法少女永久!」
 ……何故か魔法生物の一体――大型の亀の様な個体――の上に、十代前半の少女が立っています。
「私は魔法少女小夜! あなたに恨みはないけど、お母さんのために死んで貰うわ!」
 名乗りを上げる少女。
 露出の多い黒の革服は似合っていませんが、よく見ると目鼻立ちの整った、清楚な印象の少女です。
 捕まえて調教したら、御主人様に悦んで貰えるでしょうか?
「……ねえ、永久ちゃん? 今、危ない事を考えてなかった?」
 そんな事を考えていると、リズエルが声をかけてきました。
「はえ?」
 何の事でしょうか?
「…………」

「ホーリーナイトメア!」
 放たれる、光と闇の複合魔術。
 ……どうして、連れてきた魔法生物を使わないのでしょう?
「障壁術式一番」
 展開した魔術障壁は、小夜さんの放った攻撃魔術を容易く防ぎきります。
「くっ! ホーリーナイトメア! ホーリーナイトメア! ホーリーナイトメア!」
 乱打される攻撃魔術を、魔術障壁で受け止める。
 私が一般教養程度の魔術しか身につけていないと言っても、素人同然の相手に押し負ける事はありません。
「ええい! 突撃!」
 小夜さんは遂にしびれを切らしたのか、魔法生物達に突撃を命じました。
「ねえ、永久ちゃん。今更だけど、どうにか出来る?」
「いえ、無理です」
 リズエルの言葉に首を振る。
「でも、きっと誰かが助けてくれますよ。確か、そう書いてありました」
 ビフレフト条約にそんな規定があったはずです。
「書いてあったって……」
 その時、何処かから謎のテーマソングが流れてきました。
「あっ! 来ましたよ!」

「この世に闇が蔓延る時!」
「空の彼方より現れて!」
「邪悪な闇を打ち払う!」
 何処かで聞いた事が有りそうな、ベタな決め台詞を高らかに歌い上げて、彼らは姿を表しました。
「トウッ!」

「邪悪を焼き尽くす灼熱の炎! セイントレッド!」
「邪悪を押し流す清らかなる流れ! セイントブルー!」
「邪悪を打ち砕く黄金の鉄槌! セイントイエロー!」
「邪悪を清める優しき心! セイントピンク!」
「邪悪を飲み込む暗き深淵! セイントブラック!」
 色違いの全身タイツとヘルメットを身につけた五人組は、それぞれにポーズをとると、全員で声を揃えて名乗りをあげました。
「五人揃って! 破邪戦隊セイントレンジャー!」

「……ねえ、あれなに?」
「たぶん、神威連合からの援軍だと思います。……たぶん」
 怪奇極まりない服装の五人組には、閉口せざるを得ません。

「フレイムソード!」
「セイントスマッシュ!」
「煮干し斬りにゃ!」
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
 セイントブルー以外の四人が魔法生物達に突撃していきます。
 どこかで聞いた声が混ざっていたような気がするのは、気のせいでしょうか?

06

「永久=桜乃小路=アイオーン様で間違い有りませんか?」
 膨大な数の魔法生物達を、圧倒的な力で蹂躙する四人を何となく眺めていると、唯一戦闘に参加していないセイントブルーが声を掛けて来ました。
「はい、そうですけど。何か御用ですか?」
 私は声を返しました。
 神威連合の走狗が何の用でしょうか?
「申し遅れました、神威連合評議会直属臨時特務戦闘部隊破邪戦隊セイントレンジャー所属セイントブルー、オフィエルと申します。タンタロス会長より手紙と辞令を預かっております」
 そう言って、彼は二通の封筒を取り出しました。
「御主人様から、ですか?」
 まずは手紙の封を切ります。
『永久、まだ誰も吸い殺していませんか? 今日明日中に対策を講じるので、早まらないで下さい。さて、神威連合との交渉は概ねまとまりましたが、細部の調整のために数日は帰れそうにありません。臨時特務執行官の辞令を発行したので、その間の判断は、手紙を預けた神威連合の特殊部隊への対応も含めて永久に一任します。それでは、くれぐれも余計な死体を作らない様に』
 もう片方の封筒を開くと、今日の日付や魔王協会のロゴと共に『魔王協会会長ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世の名に置いて、永久=桜乃小路=アイオーンを臨時特務執行官に任ずる』の一文が書かれていました。
 御主人様が御望みなら、どの様な事でも成し遂げて見せます!
 と言いたい所なのですけど、渇きだけは何ともし難いのです……。

「ところで、オフィエルさんは戦わなくても良いのですか?」
 手紙を読み終えると暇になってしまったので、気になっている事を聞いてみました。
 そして、返ってきた答えは何とも形容し難いものでした。
「私は……、事務員です……!」
 そう答える彼の姿には、僻地に転勤させられたエリート官僚の悲哀が滲み出ていました。
 その哀愁漂う背中に、それ以上の追求は酷だと思い、しばらく口を閉ざして彼を見守る事にしたのでした。

「御協力感謝します。私達だけでは、この支部を守り抜くことは適わなかったでしょう。魔王協会を代表して御礼を申し上げます」
 私は、ドレスの裾を摘み上げて一礼しました。
 あの後、魔法生物の軍勢はセイントレンジャー(セイントブルー除く)によって殲滅され、指揮官と思われる小夜と名乗った少女はいつの間にか居なくなっていました。
 そして現在、全身タイツから着替えたセイントレンジャー達と、支部のロビーで向かい合っているのですが……。
「永久さん、大武会以来だな」
「私は……、私は左遷される様な事はしていない。そうだ、何故私がこの様な辺境世界に左遷されねばならないのだ。私よりも無能な奴は幾らでも居るじゃないか。はっ、まさかこの中途半端な能力が(以下、愚痴が続くだけなので省略)」
「議長の命だからな、逆らう訳には行くまい」
「永久ちゃん、また会ったね」
「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」
 案の定、何時も御主人様に付きまとう勇者カイルを始め、大武会で知り合った猫耳超人ミーシャさんに、直接の面識こそ無いものの同じく大武会で顔を見た辞書超人オメガさんと、見覚えのある顔が並んでいました。
 それにしても、当たり前の様に気合いで時空の壁を破るカイルや、時空転移魔術の奥義書を喰らって時空転移魔術の奥義を修得したオメガさんはさて置き、ミーシャさんはどうやってこの世界に渡ったのでしょうか?
 騒ぎ続けるセイントレンジャー達を無視して考え事をしていると、リズエルが口を開きました。
「ねえ、取り敢えず自己紹介しない? 私はリズエル、創世神様に仕える天使よ」
 成る程、セイントレンジャー達に対するこちらの対応は決まっていませんが、面識のない方もいるのでお互いに自己紹介をしておいても良いでしょう。
「それでは。私は永久=桜乃小路=アイオーン。魔王協会会長ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世様の愛玩奴隷であり、現在は臨時特務執行官を拝命しています」
 私は、所謂営業用の笑顔を浮かべて名前と立場を述べました。

 セイントレンジャー達も名乗り始めます。
「俺はセイントレッドことカイル。勇者なんて呼ばれている。まあ、宜しく」
 そう言って、彼は爽やかな笑みを浮かべました。
「永久臨時特務執行官には先程も名乗りましたが、私はセイントブルーことオフィエル。普段は神威連合本部で事務員をしております。完全な非戦闘要員ですので、絶対に戦闘には巻き込まないで下さい」
 ……どうして、五人しかない枠に完全な非戦闘要員が入っているのでしょうか?
 余程、事務処理能力が優れているのでしょうか?
「我はセイントイエローことミカエル。……タンタロス会長が放った怪光線を浴びてから、何故か無性に『かれ〜らいす』とやらが食べたいのだが。……そもそも、『かれ〜らいす』とは何だ?」
 ミカエルさんの手が何かの禁断症状の様に震えていたので、近くの職員に言ってカレーライスを持って来させると、彼はスプーンも使わずに獣の如く貪り喰い始めました。
「私はセイントピンクことミーシャ。……お兄さんがいつの間にか居なくなってたから、カイルさんに付いて来てみたんだけど……、一体何が起こってるの?」
 余り現状を理解出来ていないのか、ミーシャさんは猫耳をピクピクと動かしながら首を傾げました。
「我はセイントブラックことオメガ。力の求道者なり!」
 高々と名乗りを上げたオメガさんは、お約束の様に「ディィィィィクゥゥゥショォォォヌァァァゥィィィィィ(ディクショナリー)」と叫びました。

 原則として、各勢力一名ずつの、ある種の型に沿った正義の味方を選出するビフレスト条約。
 最初に襲撃する所謂悪役を除けば、ほぼ唯一の例外である共通のコスチュームを身に着けた五人組を神威連合が選択した事は特に驚くべき事ではありません。
 ……でも、半分以上が神威連合にとって殆ど完全な部外者なのはどうしてでしょう?

07

「要するにビフレフト条約は、ある種の型にはまった物語を紡ぐための条約なのです。つまり、戦いがビフレフト条約の定める物語として完結を迎えれば、御主人様や神威連合の評議会が介入して休戦協定を結ぶ事も容易になるのです」
 私はリズエルとセイントレンジャー(未だにカレーを貪り続けているミカエルは除く)を見回しながら、ビフレクト条約の特性と対策を語ります。
 それにしても、私以外の誰もビフレフト条約の詳細を知らなかったのはどうしてでしょう?
 他の面々はともかく、オフィエルさんも知らなかったのは少し意外です。
「つまり、どうすれば宜しいのですかな? 永久臨時特務執行官殿」
 オフィエルさんに促されたので、続きを話します。
「具体的には、小夜と名乗った少女と直属の上司を処理すれば良いはずです。勿論、抵抗する様なら上層部も相手にしなくてはいけませんけど、ビフレフト条約の大前提として最初に戦いを挑んだ勢力は最後には負けますから、戦力削り以上の抵抗はしないと思います」
 結局の所、この戦いは最初から結末が決まっているのです。
 途中でどれだけ苦戦しても、最後には否応なしに私達が勝利してしまうのです。
 戦いは好きではないのですが、それでもこれを戦いと呼んで良いのか疑問に思ってしまいます。
「最後には負けるって、どうして断言出来るんだ?」
 カイルが(何故か手を挙げて)質問しました。
「極めて高位の世界律制御型魔術に、条文の内容を世界に刻み込む物があるのです。こう言った類の術式を強引に解呪する事は、ほぼ不可能ですから」
 ビフレフト条約は、既に術式として世界に刻み込まれてしまっています。
 この状態になると条文は自然現象に近い振る舞いをするので、力ずくで対抗する事は極めて困難なのです。
 確かに、この様な性質を持つビフレフト条約を利用すれば、一つの世界に僅かばかりの影響力を持つに過ぎない現地の神性が、大魔界の様な巨大な世界間組織を退ける事も難しくないのですけど……だからと言って、無関係な私達を巻き込むのは止めて欲しかったです。

 その日の夜、リズエルやセイントレンジャーの部屋割りを支部長に任せて、御主人様と私にあてがわれた部屋で眠りに就こうとした私は、血の禁断症状である乾きに襲われました。
「は……あっ……うっ!」
 御主人様によれば、私のこれは心因性のものなのだそうです。
 物心ついた時から、血に飢える経験が殆ど無かったため、血を吸えない状況に対する耐性が極度に低くなっているのだろう、と。
 ……もっとも、理由が分かっても押さえられる様なものではないのですけどね。
「ひっ……」
 他者の血を、命を喰らいたいと言う欲求に流されそうになる。
 でも、ここで流されてしまっては御主人様の命に背く事になってしまいます。
「んっ……」
 少しでも衝動を誤魔化すために、自身の二の腕に牙を立てて血を啜ります。
 相応の魔力を秘めているはずの血ですが、自分自身の血だからなのか、はたまた御主人様の血では無いからなのか、余り美味しくありません。
 さらには、自身の血を吸っている以上、魔力は一切回復しない(それどころか、血液から魔力・魔力から血液に変換する際のロスでむしろ減少している)のですが、血を吸っているという感覚は僅かながらも乾きを癒してくれます。
 そんな時、扉が叩かれました。
「永久特務執行官殿、タンタロス会長よりお届け物で御座います。大至急渡して欲しいとの事なので、深夜に女性の部屋を訪れる無礼お許し下さいます様」
 扉の外からかけられた声は、支部長のものでした。
 ……今、誰かに会ったら、何も考えられずに吸い殺してしまう確信があるのです。
 えっと……その……。
 支部長を吸い殺す事を覚悟の上で、対応に出た方が良いのでしょうか? それとも、明日の朝まで待って貰った方が良いのでしょうか?
「……もう、お休みでしょうか?」
 扉の向こうで支部長が呟く様に言いました。
「はてさて、早く渡さないと査定に響くのですが……」
 ……あ、もう駄目。
 少し足を延ばせば獲物が居ると言う事実に吸血衝動が抑えられなくなった私は、扉に向かって歩き始めました。
「おや、起こしてしまいましたか。はっ! 永久様の安眠を妨害したと知られたら査定が!」
 相変わらず私欲だけで生きている支部長に襲いかかろうとした時、その傍らの人影に気がつきました。
「…………」  戦場を彩る劫火の色彩に染まった髪と瞳、同色の……翼?
 天使か翼人の類でしょうか?
 取り敢えず、支部長よりは美味しそうです。
「嗚呼、永久様。この娘はタンタロス会長が不在の間、代わりに永久様の食事にあてがう様にとタンタロス会長より言いつかって……」
 支部長の言葉を聞いた瞬間、私は目の前の少女の首筋に牙を埋めていました。
「ひゃっ……あ……う……」
 少女の甘い声を聞きながら、今朝以来の血を貪ります。
 彼女の血は、甘く、苦く、何処か御主人様と似た味がしました。
「それでは、良い夜を」
 支部長の言葉が何故か遠く聞こえます。
 結局私は、日が昇るまで少女の血を貪り続けたのでした。

 その時の事を魔法で覗いていた御主人様曰く「ロリ同士の絡みは良い」との事です。
 良く分かりませんが、御主人様に喜んで頂けた様で何よりです!

08

「ねえ、永久ちゃん。百合の花が見えるのは気のせい?」
 朝、リズエルは部屋に入るなり奇妙な事を言いました。
「百合の花、ですか?」
 何の話でしょう?
「……取り敢えず、ベッドの上で頬を赤く染めて息を荒げてる子は誰!」
 ベッドに目を向けると、昨晩の少女が力無く倒れていました。
 年齢は人間換算で五歳程度――下級天使は人間よりも成長が早いので、三・四歳位でしょうか?
「御主人様のプレゼントで御飯?」
「分かった様な分からない様な……」
 リズエルは頭を抱えてしまいました。
 説明が足りないのでしょうか?
「元は下級天使だった様ですよ。死体を修復したのか貧困家庭から購入したのか迄は分かりませんけど」
「背中の羽根を見れば、元天使って言うのは納得出来るけど……詳しい素性も分からないのに、何でそんなに物騒な発想ばっかり出て来る訳?」
 リズエルがげんなりした顔になります。
「でも、あれだけの身体改造を施した上で、食料品として下賜された以上、普通の境遇ではないと思いますよ?」
「……まあ、確かにそうだけど」
 リズエルは再び頭を抱えてしまいました。
 ……それにしても。
「どうして御主人様は、私を抱いてくれないのでしょうか?」
「あ、前に手を出してないって言ってたの、本当だったんだ」
 意外そうな顔をするリズエル。やっぱり、気に入った女奴隷は抱いてしまうのが普通ですよね?
「大切にして下さっているのは分かりますし、もし娘や妹としてしか見られないのであれば、それでも構いません。でも……僅かでも女として見て下さるのなら抱いて欲しいのです……」
「案外、重い性格だったんだ……」
 リズエルの疲れた声が突き刺さります。
「え、えっと……」
 重い……のでしょうか?
「と言うか、何でこんな話になったの?」
 妙な雰囲気を変えようとしたのか、リズエルは話を変えました。
 ……実際には、もう少し色々な理由がありますが、最大の理由はこれでしょう。
「あの子の血から、御主人様の味がしたからです」
「ねえ、この話の流れでその理由って、もしかしなくてもあの子、タンタロス会長のお手つき?」
「はい、少し嫉妬してしまいました……」
 御主人様があの子を抱いたのは、彼女の神性を汚して、私が食べられる様にするため、つまり私の為だと分かってはいるのですが、それでも僅かばかりの嫉妬を覚えてしまいます。
「可哀想とかじゃなくて、嫉妬なんだ……」
 リズエルはしばらくの間、暗い顔でうつむいていましたが、気を取り直すと少女から目を逸らしながら口を開きました。
「まあ良いわ……文化の違いだと思って諦める事にする。それよりも……」
 えっと、それまでの価値観を全否定された人が、開き直った時の笑みなのですが、大丈夫でしょうか?

 それからしばらくは、セイントレンジャーの方々と一緒に、大魔界の魔法生物を狩る日々が続きました。
 そう言えば、すっかり忘れていたプリティーバトンですが、少し様変わりして戻って来ました。  以前は先端にハートをあしらった短めのバトンでしたが、今では私の背丈より頭一つ分程長い、無数の人面瘡に覆われた肉色の杖です。名前もプリティーバトンから魔杖レギオンに改めました。
 同封されていた御主人様からの手紙によると、私が子供の頃、側にいてくれた影の人達の依り代にもなっているらしく、懐かしい感じが気に入っているのですが、リズエルやセイントレンジャー(オメガさんを除く)の反応は微妙です。どうしてでしょうか?
 小夜と名乗った少女は、あれからも魔法生物達と行動を共にしているらしく、しばしば同時に現れます。最初の頃こそ魔法で戦っていたものの、最近は指揮に専念する事が多くなっています。戦術としては正しいのですが、魔法少女としてはどうなのでしょう?
 食料品として送られてきた少女は、喋らないのか喋れないのか、未だに名前も分かりません。
 御主人様が貧困家庭から奴隷として買い取って、造血能力の強化等の処置を施したそうですが、私の後輩と言う事で良いのでしょうか?

 そして、御主人様の帰還が明日に迫った日、大魔界からの使者がやってきました。
「小夜様より、書状を預かっております」
 彼は決闘状と書かれた手紙を手渡しました。
「時は明日正午、場所は旧エンブリオ領領主館跡。……お互い、早く終わらせて楽になりましょう。どう足掻いても負ける事も知らずに、必死になっているあの子には悪いですが」
 ……何と言うか、微塵もやる気がありません。それにしても、旧エンブリオ領は近くの無人世界なのですが、どうしてこの世界では無い場所を指定したのでしょう?

09

 旧エンブリオ領領主館跡――かつて、御主人様の御母様の御実家が建っていた地は、今ではすっかり荒れ果てて、言われなければそうとは気が付かない有様でした。
「待っていたわよ!」
 私とリズエル(セイントレンジャーは別の場所で行われている破壊活動の対処で不在)を出迎えたのは、小夜さんと無数の霊体駆動式魔法生物でした。

「ねえ、永久ちゃん。前にも同じ様な事があったと思うんだけど、今回も……」
「はい、無理です!」
 私の返答を聞いたリズエルは、諦めた様な表情で祈りを捧げ始めました。
「天に在りし我らが神よ、僕リズエルはもうすぐ御下へ参ります……」
 しかし、リズエルは忘れてしまっている様ですが、余程の事がない限りここで負ける事は有り得ません。
 何故なら、ビフレフト条約に基づいて行われるこれは、戦いの様に見えても実際には演劇の様なものなのですから。

 ――魔法生物達の攻撃が今まさに放たれようとした瞬間、世界は劫火の色に包まれました。
 魔法生物達は、あたかも紙細工であったかの様に、灰も残さず焼け落ちて行きます。
 世界を包んだ劫火は、しかし他の物は何一つ傷つけず、魔法生物達と彼らが居た痕跡だけを、跡形もなく焼き尽くしてしまいました。
 魔法生物達の攻撃が私達に達するまでの、ほんの一刹那の間にこの様な事が出来る存在を、私は一人しか知りません。
「御主人様!」
 会議の後、着替えずに駆けつけたのか、何時もより数段豪奢な儀礼用のローブに身を包み、流麗な装飾が施された儀礼用の杖を携えて、夜色の全身甲冑に腰掛けるその姿は、紛う事なく御主人様でした。
 久し振りに見た御主人様の姿に、我慢できなくなった私は、御主人様の下に駆け寄って――首筋に噛みついて血を吸い始めてしまいました。
「永久……、いえ、もう何も言いません。好きなだけ吸いなさい」
 御主人様の呆れた様な口調は気になりましたが……、今回は御主人様の言葉に甘える事にしました。
 ……十分な量の血を摂取していたとしても、御主人様の血は格別なのですよ?

「な、何なのよ。何だって言うのよ!」
 久し振りに御主人様の血を味わっていると、呆然と立ち尽くしていた小夜さんが、突如叫び声を上げました。
 どうしたのでしょうか?
「やっと、やっとお母さんを……」

 この後の事は、御主人様の血に夢中で、あまり覚えていません。
 私が御主人様の決定に口を出すなど、あり得ないのですから、知らなくても問題ありませんよね?

 あの後、大魔界側の首謀者はセイントレンジャーによって倒されたものの、大魔界本国は実行者達を切り捨てる事で保身を図ったため、賠償を請求する事は難しいとの事です。
 小夜さんは母親を人質に取られて戦わされていたものの、実は大魔界側に雇われて人質になる演技をしていただけだった事が判明して、親子喧嘩の真っ最中だそうです。

「そう言えば、御主人様。あの子はどうして喋らないのですか?」
 御主人様が居ない間の代用品として、私にあてがわれた元天使の少女。彼女が声を発する事はあれど、それらは全て意味をなさない喘ぎ声でしかありませんでした。
「嗚呼、彼女は喋れないのですよ。こちらの言う事は理解出来ている様ですし、声帯に異常があるわけでも無いのですが、何故か自身の意志を言葉にすることが出来ない様で……。因みに、筆談や念話も無理でした」
 御主人様の口から語られた真相は、妙にピンポイントで対処が難しそうなものでした。
 言語中枢の障害でしょうか?
 ただ、どの様な答えが返って来ようと、私が返す言葉は一つだけ。
 思えば、この言葉を口にするのも久しぶりです。
「はい、御主人様!」
 結局、彼女は研究部に送る事になりました。……言葉は話せるようになっても、もっと大切な何かを失ってしまう予感がしてなりません。

 その後しばらくは事後処理が続きました。
 戦闘には全く参加していなかったオフィエルさんですが、事後処理では事務員の本領発揮とばかりに大活躍していました。
 彼以外のセイントレンジャーは……、何もしない方がスムーズに進みますよね?
 リズエルは今回の功績で出世したらしく、人形サイズから私より少し年下の女の子になりました。
 ……何故、出世で体の大きさが変わるのでしょう?
 因みに私は、残っていた魔法生物の解体を手伝いました。
 内蔵されていた魂を魔力に還元して、関係者への報償に充てるそうです。――私も少しいただきました。

 数週間後、大方の事後処理が終わり、私達は予想以上に長い滞在となったこの世界を後にしたのでした。