奇妙な迷い人_まとめ読み

01

「行き倒れ……でしょうか?」
 偶然立ち寄ったとある世界。馬車に乗って街道を進んでいると、馬車の進行方向に二桁に届くか否かと言った年頃の少女が倒れているのを発見した。
 街道に人間が転がっている事自体は特筆すべき事柄でもないのだが、少女の服装はこの辺り――いや、この世界の物ではない様だ。
 化学繊維で織られていると思わしきそれは、恐らくは学校の制服なのだろう、些か土埃で汚れてしまってはいるものの、少女の幼く愛らしい容貌によく似合っている。
「何かありましたか、御主人様?」
 手綱を緩めれば少女を喰らいに行きかねない馬車馬をいなしながら、取り敢えずは少女を回収すべきかと考えていると、馬車を長く止めていたので気になったのだろう、倒れている少女より一つ二つ年上に見えるメイド服を着た少女が客室から顔を出した。
「あれを見て下さい」
 倒れている少女を指さす。
「……拾って調教して、成長して要らなくなったら売りますか?」
 ……メイド服の少女――永久の物騒な発想に頭を抱えつつ、差し当たっては倒れている少女を回収して、客室の寝台に寝かせることにした。

 客室に倒れていた少女を運び入れた後、私は黒騎士――全身甲冑をベースにした魔法生物――に御者を任せて少女の様子を診る事にした。
 少女の体には、数ヶ所の擦過傷を除いて外傷はなく、服も土埃で汚れてはいても、何日も洗っていないと感じは受けない。
「……矢張り、迷い人でしょうか」
「ある種の自然現象によって、己の意志に寄らず異なる世界に移動した人間ないしそれに準ずる存在……でしたっけ?」
 私の呟きに答えるかの様に、永久は迷い人の定義を諳んじた。
「ええ、その通りです。……どうやら気が付いたようですね」
 私たちの遣り取りで目が覚めたのか、少女は小さく呻いた。
「……ん。……アルビノの美人魔法使いにロリっ娘メイドさん……夢か……」
 ……即座に夢と断定してまた眠ってしまいました。
「起きなさい、夢だと思うのも仕方がないのかもしれませんが、これは現実です。それと、私は男です。」
 少女を揺すって起こす。
 少女はしばらく唸っていたが、やがて観念したのか目を開いて体を起こした。
「……むう、頬を抓ってくれ。定番だと思う」
 目を覚ました少女は、唐突にそんな事を言い出した。
「では早速……」
 少女の頬を摘み、マシュマロの様な感触をしばし堪能する。
「い、痛い痛い! もう、夢ではないのは分かったから止めてくれ!」
 少女から手を離す。永久が羨ましそうな目でこちらを見つめていたので、今度は永久の頬を摘んでムニュムニュする。
「うう、いくら定番だからと言ってあんな事を言わなければ良かった……。まあ良い、ここは何処だ?」
 少女はしばらく頬を押さえていたが、やがて痛みが引いたのか、現在地を尋ねて来た。
「ここは、私の馬車の客室です。地名なら、確かセシウス王国セイレン男爵領メルクル街道だったはずですが……、分かりませんよね?」
 もし、少女が迷い人であれば、この世界の地名を言って理解出来る可能性は、確率を論じる事すら馬鹿らしい程に低い。
 ここが少女が暮らしていた世界では無い可能性が高い事を、どの様に説明しようかと考えていると、少女は唐突に握り拳を作り、妙に嬉しそうな声を上げた。
「異世界トリップキタコレ!」
 ……えっと、説明が省けて楽なのですが、どうしてこんなに嬉しそうなのでしょう?
 少女の奇妙な反応に呆然としていると、少女は興奮した面持ちで身を乗り出して来た。
「ここは剣と魔法の世界なのだな! そうなのだな!」
「……まあ、武器は剣や弓等の原始的な構造の物が主流ですし、社会の根幹をなす技術として魔法が発達しているので、その認識でも間違ってはいないと思いますよ」
 えっと、普通はもっと錯乱したり、帰れるかどうかを心配するものではないのでしょうか?
「そして、直ぐには帰れないから、帰る方法を探す必要がある! そうなのだろう!」
 ……帰れない方が良いのでしょうか?
「いえ、座標計算に時間が掛かるので、今日明日にとは行きませんが、一月もあれば帰れると思いますよ」
 人為的な転移とは異なり、揺らぎが大きい自然転移の場合、転移前の座標を割り出すのも一苦労だが、決して不可能ではない。
 少女の様な事例は、多くはない物のそれなりの数が確認されており、帰還方法も確立されているため、少女がわざわざ危険を冒す必要はない。
「な、何だと! では、何のために私はここに居るのだ!」
 ……ただの自然災害なのですが。
「帰りたくないと言うのであれば、こちらに永住出来る様に手を回しますが……」
「いやいや、帰れると言うのなら帰りたい、帰りたいのだが……ロマンが足りない!」
 少女は雄叫びを上げると、うなだれて静かになってしまった。

「そう言えば、そろそろ翻訳魔法をかけても良いですか? このままだと、永久が会話に入れないので」
 少女が落ち着く頃合いを見計らって、声を掛ける。
 私はさて置き、永久は少女の使っている言葉を知らないはずである。
「おお、魔法が見られるのか。……と言うか、御都合主義で会話が通じている訳ではなかったのだな。……いや、この状況で会話が通じる人物に出会っただけで十分御都合主義か。早く掛けてくれ」
 少女が特に文句を言う事もなかったので、早速掛けさせて貰う事にした。
「虚空を渡る言の葉はゆるりゆるりと舞い踊る」
 呪文を唱えると、少女の体が僅かに光を放ったが、直ぐに光は収まった。
「地味だな。いや、翻訳魔法に派手さを求めても仕方がないが」
 少女は、手のひらを見つめたり、虚空に話し掛けたりしていたが、しばらくするとこちらに向き直り、改まった様子になって口を開いた。
「異世界トリップに興奮して礼を言うのを忘れていた。実は道端に倒れていたのはうっすらとだが覚えている、拾って寝かせてくれたのだろう? 感謝している。……上目使いに、お兄ちゃんありがとう、とでも言った方が良かったか?」
 意外に義理堅い性格なのか、礼を述べる少女。
 お兄ちゃんには、引かれないでもないですが……。
「いえ、特に目的の無い気ままな旅ですから、えっと……。そう言えば、名前を聞いていませんでしたね」
 少女の名前を呼ぼうとして、まだ名前を聞いていない事を思い出す。
「そう言えば、そうであったな。私は空乃宮(そらのみや)麗兎(れいう)、レイたんとでも呼んでくれ」
 永久の頬を摘んでいた手を離して膝に座らせ、少女に名乗り返す。
「私は、ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世。この子は……」
「永久=桜乃小路=アイオーンと申します」
 永久は、私の膝の上に座ったまま一礼する。
「そうか、改めて宜しく頼むぞ。ところで、今は何処に向かっているのだ? ……いや、地名を聞いても分からないのだろうがな」
 少女の問いかけに、永久が口を開く。
「確か、ミルドと言う小さな村です。良質なコカトリス肉の産地として知られています。……これで合っていますよね、御主人様?」
「ええ、合っていますよ」
 永久の頭を撫でると、心地良さそうな顔で首筋に噛みついて来た。
「おお、永久たんは吸血鬼だったのか!」
 少女――レイたんが、またもや嬉しそうにしていたのはお約束。
 馬車は、ゆっくりと次の目的地であるミルドの村に向けて進んで行く。

02

「おお……村だな」
「村ですねえ」
 少女――レイたんを拾ってから半日、太陽が地平線に沈む頃、馬車はミルドの村にたどり着いた。
「いや、もっとこう……何かこみ上げて来る物があるのかと」
「……レイたんはいったい何を期待していたのですか」
 コカトリスの放牧でそこそこ潤っているとは言え、ミルドは小さな村でしかない。
「そう言えば、コカトリス肉で有名と言っていたが、コカトリスは何処に居るのだ?」
 もう日も沈むのですから、今頃は牧舎に居るのでしょう。
「この時間には、もう牧舎で眠っています。明日は牧場見学の予定ですから、楽しみにしていて下さい」
「おお、それは楽しみだ!」
 私の言葉に、瞳を輝かせるレイたん。
「迂闊に近寄ると石にされますから、注意しましょうね」
 血を吸っていた永久が、私の首筋から牙を抜き、窘める様に言った。
「永久は一度、中途半端に抵抗したせいで、却って悲惨な状況になりましたからね」
「はい、御主人様!」
 ……そこで明るく返事をするのは、如何なものかと思いますが。
「中途半端に石化……想像するからに苦しそうだな」
 レイたんも、げんなりした顔をしている。
「まあ、簡単に治せますから、そこまで気にする必要はないでしょう。と言うか、石化する度にそのままでは、コカトリスの飼育など出来ませんよ」
 永久の場合は、中途半端に抵抗したせいで、石化した部分と生身の部分が混在する状態になってしまい、無駄に苦しむ羽目になっただけだ。
「それもそうか」
 レイたんは納得した様に頷いた。
「では、宿に行きますよ」
「はい、御主人様!」
「うむ、参るか」
 二人が頷いたのを確認して、村で唯一の宿に足を向けた。

「別に一部屋取った方が良いですか?」
 宿へ向かう道の途中、レイたんに尋ねてみる。
 幼いとは言え女性、見ず知らずの男と一緒に寝るのは不安かもしれない。
「ん、こんな美幼女と夜を共にする権利を投げ出す気か? それに、これ以上負担をかけるのも心苦しい」
「それならば良いのですが……」
 私の言葉に得心したとばかりに、レイたんは口を開いた。
「嗚呼、襲いたいのならば襲っても良いぞ。むしろ襲ってくれ。ただで養われるくらいならば、体と引き替えに養われる方が気が楽だ。……実は、少しばかり興味がない訳でもないしな」
 不遜に見えて、意外に義理堅い性格だったらしい。別に気にせずとも良いのに。
 レイたんは続ける。
「この世界で最初に出会ったのが、お兄さんで良かったと思っているのだぞ、普通の男ならば、私の様な幼女に欲情する筈もないが、お兄さんの様なロリコンならば、僅かばかりだがこうやって恩を返すことも出来る。だから……私の初めてを、受け取って貰えるか?」
 レイたんの瞳に映る真摯な光を見て、私は何となく彼女を抱きしめた。
「ん? 流石に初めてはベッドが良かったのだが……まあ、構うまい」
 そう来ますか。……それにしても、私がロリコンだと、レイたんに言った覚えはないのだが。
「嗚呼、永久たんに御主人様と呼ばせていたからな」
「……地の文に答えないで下さい」

「何と言うか……鶏肉だな」
「まあ、鶏肉ですね」
 コカトリスの味は鶏に近い。
「いや、もっとこう……何かこみ上げて来る物があるのかと」
 おや? 何か既視感が……。
「少し前に同じ様な遣り取りをしませんでしたか?」
「……そう言えば、村に着いた時にも同じ様な事を言った覚えがあるな」
 場所は変わって宿の食堂。
 折角だからと言う事で、コカトリス料理を注文したのだが、レイたんの反応はあまり芳しくない。
「まあ、美味いのだが、どうにも、ファンタジーの世界に来た、と言う実感が薄くてな」
 そう言うと、レイたんはコカトリスの唐揚げを口に放り込んだ。
「明日の牧場見学まで我慢して下さい。それに、刺激を求めるだけが旅の楽しみではありませんよ」
「それもそうか。ほれ、あーん」
 レイたんは納得すると、フォークに刺した唐揚げを私の口元に差し出してきた。
「御主人様、あーん」
 永久もレイたんに触発されたのか、香草焼きを差し出してくる。

 その日の夜。宿に向かう道で彼女が口にした言葉に従う様に、私はレイたんを押し倒していた。
「……自分から誘って置いて何だが、流石にもう少し先になると思っていたぞ」
 寝台の上、私に押し倒されているレイたんが口を開いた。
「止めますか? ……押し倒して置いて何ですが、ここで止めて置く事を勧めます」
 レイたんを抱く事に異存は無いが、彼女自身の事を考えると決して勧められる選択ではない。
「それこそ、まさかだな」
「……ですよね」
 口頭でたしなめた程度で止める様ならば、そもそも誘ったりはしないだろう。私はレイたんに口付けた。
「んっ……」
 レイたんが小さく声を漏らす。柔らかな感触をしばし堪能し、唇を離す。
「ふう……、ドキドキしてきたぞ」
 レイたんは不敵に笑うと、私の手を自らの胸元に導いた。早鐘の様な脈拍が感じられる。
「もう一回、しましょうか?」
「うむ」
 再びレイたんの唇を貪る。先程はただ唇を合わせるだけだったが、今度は舌を入れてみる。
「むっ……」
 レイたんは躊躇い無く舌を絡めてきた。少しは驚くかとも思ったが、この不敵な反応は実に彼女らしい。

 その後、レイたんは行為の最中に幾度か失神し、私はその度に回復魔法をかけて終わりにしようとしたが、レイたんは回復魔法をかけると即座に復活して行為の続行を求めた。そのため、結局最後まで致してしまったのだが、外傷を治して体力を回復させただけであんなにも直ぐに起きあがれるものなのだろうか?

 翌朝。
「おお、私が求めていた物はこれだ!」
 飼い葉を食べるコカトリスを見て、興奮するレイたん。
 因みに、レイたんは着替えがなかったため、永久のメイド服を着ている。
「ちょっと石になってくる!」
 コカトリスの方に駆け出すレイたん。
「えっ?」
「はえ?」
 永久と二人で呆然としてしまった。
 ……まさか、自分から石になりに行くとは。

 結局その日は、石になったレイたんを元に戻して説教をすると、暗くなってしまったので、もう一泊してから村を発ったのだった。

03

「魔法を教えて欲しい、ですか?」
「うむ、駄目か?」
 ミルドの村を発ってしばらく経った頃、レイたんが唐突にそんな事を言い出した。
「いえ、別に構いませんが、唐突にどうしましたか?」
 レイたんの答えは実に彼女らしい物だった。
「魔法があると言うのなら、使ってみたいのは人情だろう」
 ……まあ、構いませんが。
「そうですね……、魔法と言っても色々ありますし、まずは適正を調べてみましょう。永久、御願いします」
「はい、御主人様!」
 永久に声を掛けると、彼女はレイたんの首筋に牙を立てた。
「ひゃっ! な、何を……おお、これは……」
 最初は驚いた様だが、レイたんの声は直ぐに快楽の色に染まった。
 焦点の定まらない瞳、薄く紅潮した頬、唇から漏れる甘い声。
 永久に血を吸われるレイたんは、年不相応な色香を放っていた。
 やがて永久は、レイたんの首筋から牙を抜くと、血液を口に含んだまま私に口付た。
 口腔に注がれる、唾液混じりの血液を嚥下する。
「成る程、大体解りました。……どうしました?」
 レイたんの血液から大体の魔法適正を判別して、彼女の方を見ると未だに頬を赤く染めて息を切らしていた。
「い、いや、……いきなりだったので驚いただけだ、気にする必要はない……」
 そう言うレイたんだが、あまり大丈夫そうには見えない。
 ……まあ、理由が分かり切っている以上、気にする必要もないだろう。
「そうですか。さて、何と言いますか……これ以上ないくらいに平凡ですね」
「何がだ?」
 レイたんは、先程の衝撃で頭が上手く回っていない様なので、教えてあげる事にする。
「レイたんの魔法適正です」
「あ、嗚呼、そう言えば、それを調べていたのだったな」
 ようやく意識がはっきりしてきたのか、顔の赤みも幾分引いてきたレイたん。
「それで、具体的にはどうだったのだ?」
 身嗜みを整えたレイたんが尋ねて来る。
「はい、可もなく不可もなくと言った感じです。魔術師として生計を立てる事はまず無理でしょうが、一般的で簡単な物ならば努力次第で大体使える様になるでしょう」
「何と言うか、……微妙だな」
 言葉に違わず微妙そうな顔をしたレイたんに、永久を膝に乗せながら返す。
「まあ、趣味で魔法を学ぶには丁度良いと思いますよ」
「そうなのかも知れぬが……。まあ良い、才能に文句を言っても仕方が無かろう」
 何とか納得した様子のレイたん。
 講義を始めるとしましょうか。

「さて、魔法と呼ばれる技術は大きく分けて二種類に分類されます。即ち、魔力操作型と世界律制御型。どちらに属するのか判断が難しいものや、どちらにも属さないものも有りますが、今回は置いて置きましょう」
 レイたんは、ほうほうと頷きながら話を聞く。
 手が宙をさまよっていたので、万年筆と羊皮紙を渡すと、物凄い早さでメモを取り始めた。
 ……何故か速記文字で一語一句漏らさずに。いや、速記術程度は今更驚くに値しないか。
「続けますよ? 私の専門はどちらかと言えば世界律制御型の方なのですが、魔力操作型の方が分かり易いので、特に異存がなければ魔力操作型について講義したいと思います」
 頷くレイたんを確認して話を続ける。
「魔力操作型の中でも特に簡単なのが、神と呼ばれる存在の力を借りる方法です。ですがこの方式は、力を貸す神が力を貸してくれるのかが問題になるので、一般的に思い描かれる魔法とは違った感じに成りますね」
 レイたんがメモを取る手を休めて尋ねてきた。
「祈れば良いのか?」
 まあ、そう思いますよね。
「基本的にはそうですが、新興の神が信者を集めるために行う新規入信キャンペーンで、入信するだけである程度の魔法が使える事もあれば、貧乏な神の場合は寄付金を積み上げるだけで強力な魔法を使える様になったりもしますので、一概には言えません」
「それは……何と言うか夢がないな」
 幻滅した表情をするレイたん。
 しかし、その手は高速でメモを続けている。
「そうですね……一回使ってみましょうか?」
 延々と説明を聞くだけでは退屈だろうからと、レイたんに提案してみる。
「おお、ついに魔法が使えるのか! どうすれば良いのだ?」
 レイたんは途端に生気を取り戻した。
「適当に効果を想像しながら呪文を唱えて下さい。細部はこちらで調整します」
 レイたんは私の言った事を実行しようとして、何かを思い出したかの様に動きを止める。
「ん? 神様の力を借りるはずなのに、お兄さんが細部を調整するとはどう言う事だ? まさか、お兄さんは神様だったりするのか?」
 嗚呼、言っていませんでしたね。
「力を貸す大本になる存在は、神と呼ばれている場合が多いですが、必ずしもそうである必要はありません。ある程度の魔力と専用の術式があれば誰にでも出来ます」
 レイたんは納得すると、早速呪文を唱え始めた。
「空乃宮麗兎の名に置いて、ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世に請い願う! 今此処に、終焉を告げる吹雪を! エターナルフォースブリザード!」
 氷原のイメージが流れ込んでくる、そして……何も起こらなかった。
「む?」
 レイたんは怪訝な顔をした。
「……範囲内の生物が即死する吹雪など、馬車の中で使われてたまりますか」
「おお!」
 ぽむっと手を叩くレイたん。
 結局、近くの無人世界に転移して、そこで思う存分撃ちまくって貰った。

 レイたんが満足した様なので、馬車に戻って話を再開する。
「さて、次は精霊魔法です。名前の通り精霊の力を借りる魔法なのですが、この精霊と言うのが説明し難い存在でして……取り敢えず、純粋な魔力と精神生命体の中間の様な存在だと思って下さい」
「何だ、それは?」
 魔法を撃ちまくって満足そうな顔をしていたレイたんだか、曖昧な説明を聞いて首を傾げる。
「正式な定義は『意思またはそれに準ずる物を持っている様に観測される、世界を構成する霊的な元素』となります。理解出来なくても、精霊魔法そのものは使えるので気にしなくても良いですよ」
 実の所、精霊魔法を使う上で知識はあまり重要ではない。
「精霊魔法に必要なのは精霊との相性、そして感性です。最も才能に左右される部類の魔法ですね」
「成る程、先程の物とは違って如何にも魔法らしい魔法なのだな」
 レイたんの声が弾む。
「そうとも言えますね。さて、才能の有無とは別に特に相性の良い精霊が一人につき二種類存在します。これが俗に言う属性ですね。因みに、レイたんは風と水、私は光と闇、永久は闇と時間です」
「……何となく予想はしていたが、矢張り私は平凡そうな属性だな」
 詰まらなそうな顔のレイたん。
「まあ、あまり気にしなくても良いと思いますよ、精霊魔法自体にあまり向いていない様ですし。先程の様に試しに使ってみる事も出来ないので、精霊魔法の話はこれでお仕舞いにします。……見本くらいは見せますか」
 ライターの火を媒介に火の精霊を召還してしばらく飛び回らせた後、またライターの中に戻す。
「うむ、風情があるな」

「さて、いよいよ最後、純粋な魔力を直接操作する方式です」
「妙に嬉しそうだな?」
 どうやら、声が弾んでいたらしい。
「私の専門に近いですから」
「成る程な」
 膝の上で血を吸い始めた永久を撫でながら、話を続ける。
「さて、今言った様に、この方式は世界律制御型魔法と深い関わりがあります。世界律制御型魔法は術式プログラムを組んでそれを元に世界律に干渉するのですが、純粋魔力の制御を行う場合も同じ様に術式プログラムを組んで、それを元に魔力を操作します。分類こそ分けられている物の、技術的には同系列の物ですね」
「……中々難しげだな?」
 首を傾げる、レイたんに髪をいじられながら続きを話す。
「いえ、術式プログラムが予め用意されていれば発動自体はさほど難しくありません」
 二の腕程の長さの杖を取り出し、レイたんに渡す。
「それは、誘いの魔杖――通称見習いの杖と呼ばれる物です」
「これで魔法を使うのか?」
 杖を弄びながら、尋ねるレイたん。
「ええ、術式プログラムを用いて魔力に干渉する最後の課程だけは、どうしても感覚的な技術になってしまいます。そこで、未熟な術者の代わりに魔力に干渉し、それと同時に術者を魔術行使に適した肉体と精神に作り替える効果を持つのが、その誘いの魔杖です」
「要するに、この杖を使って魔法を使っている内に、この杖無しでも魔法が使える様になるのだな?」
 改めて分かり易い言葉で説明する必要もなく、誘いの魔杖の使い方を理解した様だ。
「ええ、杖を手に持って集中してみて下さい」
「うむ……」
 レイたんは目を閉じて集中を始めた。
「おお、頭に情報が流れ込んでくるぞ!」
 誘いの魔杖との接続は上手く言った様だ。
「灯火よ!」
 レイたんが呪文を唱えると、杖の先に小さな火が灯った。
「うむ、エターナルフォースブリザードの時とは違って、確かに自分で魔法を使っている感じがするな」
 満足そうに頷くレイたん。
「……そろそろ来ますよ」
「何が来る……む?」
 私の言葉に怪訝な顔をしたレイたんは、一刹那の後に膝の上に座っている永久に覆い被さる様に倒れた。
「初めて自分で魔力を使った後は、大抵こうなります。ゆっくり休むと良いでしょう」
「うむ……」
 永久ごとレイたんを抱きしめて背中を撫でると、彼女は安心した顔で瞼を閉じた。

04

「む、ここは……」
 永久と二人、膝の上で丸くなっていたレイたんが目を覚ました。……気丈に振る舞ってはいる彼女だが不安が無い訳ではないのだろう、周囲を見渡して戸惑った様な声を漏らした。
「ここは私の馬車の客室。ついでに言えば、今はセイレンの街に向かっているところです。……故郷の夢でも見ましたか? 大丈夫、ちゃんと帰れますよ」
 レイたんを抱きしめ、背中を優しく撫でる。
「……魔法の練習をしていて倒れたのだったな。それと、昔の夢を見たのは確かだがホームシックになった訳ではないぞ」
 レイたんの声に、こちらを気遣って嘘を吐いている響きはない、当然の事を当然に告げる気安さがあった。
「……何気にタフですよね」
 ミルド村での情事を思い出す。トラウマ間違いなしの過酷なプレイの直後であろうと、回復魔法で体さえ治してやれば、即座に復活して続きを求める様はアンデッドを彷彿とさせた。
「ん? 一昨日の夜を思い出しているのか? お兄さんがしたければ、また好きな時にして良いぞ。……しかし、女の子にアンデッドはあんまりだと思わないか? いや、興味がない訳でもないのだが」
「だから、地の文を読まないで下さい……」
 そんな話をしていると、レイたんの横で眠っていた永久も目を覚ました。
「お早う御座います……御主人様……」
 寝ぼけ眼のまま血を吸い始める永久。
「両手に花だな」
 レイたんが耳元で呟く。
 永久に血を吸われながらレイたんを抱きしめている、今の状況を改めて考えてみると、確かに両手に花だ。
「成る程、両手に花ですね」
「だろう?」
 レイたんは擦り寄る様に体を預けてきた。子供特有の甘い香りが広がる。
 そのまま、しばし二人の甘美な感触を堪能した。

「ふう、中々良かったぞ」
「御馳走様でした、御主人様!」
 数分後、二人は私の膝から降りて座り直した。
「……妙な喪失感がありますね。永久、こっちに来なさい」
「はい、御主人様!」
 一人で座っていると何故か落ち着かないので、永久を再び膝の上に座らせる。
「む、私でも良かったのだぞ? まあ、永久たんの方がしっくり来るのかも知れんが……」
 微妙に寂しそうなレイたん。折角なので彼女も抱き寄せる。
「うむ、これで良い!」
 満足げに頷くレイたんを見て永久が尋ねた。
「麗兎さんは御主人様の事が好きなのですか?」
「ん? 好きと言えば好きなのだが……セフレや愛人になるのは良くても、恋人となると違和感がある、そんな感じだ。いやまあ、恋人が嫌と言う訳でもないのだが……矢張り違和感があるな」
 とんでもない事を、さらりと言ってのけるレイたん。……一体、どんな思考回路をしているのだろうか。
「どうしたのだ? 尻尾ではなく、耳が二股に別れてしまった猫を見る様な目をして」
 どうやら思考が顔に出ていたらしい。
「……自覚は無いのですね。それと、耳が二股に別れた猫は映像でなら見た事があります」
「流石は異世界、とんでも無いものがいるな……」
 レイたんの興味は耳が二股の猫に移ったらしい。そのまましばらく、他愛のない世間話を続けた。

「銀貨一枚……そう言えば、この辺りのお金はどうなっているのだ?」
 世間話の中で偶然先日の宿代の話が出て、一晩で銀貨一枚だったと答えたところ、この様な質問が返ってきた。
「そう言えば、説明していませんでしたね」
 それぞれ金銀銅そしてミスリルで出来た、同じ意匠の硬貨を一枚ずつ取り出す。
「これらがセシウス王国で発行されている貨幣です。銅貨が百四十四枚で銀貨一枚、銀貨十二枚で金貨一枚、金貨十二枚で真銀貨一枚になりますが、真銀貨は基本的に記念硬貨なので、実際には金貨十四枚から十五枚程度で取り引きされる事が多い様ですね」
「むう、十二進法か。少々遣りづらいな……まあ良い。それで、相場はどんな感じだ?」
 レイたんは一瞬渋い顔をしたが、直ぐに気を取り直すと相場について尋ねてきた。
「そうですね……王城勤めの文官の初任給が金貨一枚、ちょっとした宿に一晩泊まると銀貨一・二枚、食堂で昼食を取ると銅貨五・六枚と言ったところでしょうか」
「ふむふむ……物価が違うだろうから一概には言えないが、銅貨一枚が百円程度なのか? まあ、大体の感覚は掴めたから良しとしよう」
 何となくは理解出来たらしい。
「分かりましたか?」
「うむ、後は実地で覚えるとしよう」
 その後も、同じ様に世間話をしたり、流れる景色を車窓から眺めたりと、まったりしながら馬車に揺られた。

 太陽が地平線に没する頃、ようやくセイレンの街にたどり着く。
「おお、何と言うかファンタジーな感じの街だな!」
 街並みを見て嬉しそうに歓声を上げるレイたん。
「科学技術全盛の世界から来たのなら、こう言った街並みは珍しいかも知れませんね。このセイレンの街は王都を除けばセシウス王国最大の都市です。ミルド村から程近い事もあってか、コカトリス料理で有名ですね。各種商店に冒険者ギルド、魔王協会支部と一通りのインフラが整備されていますから、レイたんがいた世界の座標が分かるまでこの街でゆっくりするのも良いかも知れません」
「闇市や娼館もしっかり有りますよ!」
 私の言葉に、永久が弾む様な声で補足する。……そう言う事は言わなくても良いと思うのですが。
「冒険者ギルドとな! それはどの様な場所なのだ?」
 レイたんは冒険者ギルドに興味を持ったらしく、色白の頬を赤く染め期待で目を輝かせながら、興奮した口調で尋ねてきた。
「え、ええ、冒険者ギルドは冒険者と呼ばれる方々に、報酬と引き替えに仕事を依頼する場所です。依頼出来る仕事は、モンスター退治や旅の護衛等の危険を伴う物から、家屋の清掃や家出した猫の探索と言った他愛もない物まで多岐に渡ります」
 あまりの興奮具合に若干困惑しながら、冒険者ギルドについて説明すると、レイたんは更に興奮の度合いを増して叫び声を上げた。
「キタキタキタキタキターッ!」
「……そんなに気になるのなら、明日にでも見に行きますか?」
 私の提案に、レイたんは躊躇なく頷いた。
「是非とも!」
 冒険者とは名ばかりの荒くれ者も多いので、それなりに危険なのだが……まあ、レイたんなら大丈夫か。
「さあ、宿を探しに行きますよ」
「うむ!」
「はい、御主人様!」
 それにしても、レイたんを拾ってから今日でもう三日目になるのに、彼女から本当に元の世界に帰れるのかを改めて聞かれた事は一度もない。……少し位は心配するものだと思うのだが、気にならないのだろうか?

05

 窓から冷たい月光が差し込んで来る。まだ夜明けは遠い様だ。
 左に目を向けると、一糸まとわぬ姿の永久が私の首筋に牙を立てたまま眠っている。
 ……昨日――或いはまだ今日かも知れない――初めて永久を抱いた。レイたんに唆されるままに勢いで押し倒してしまったのだが、彼女は喜んでその身を捧げてくれた。
 どうして今まで永久を抱かなかったのかは、今も分からない。しかし、彼女の純潔を奪った時、何か大切な物を手放したのに、手放したはずの物がそのまま再び手元に返って来たかの様な、奇妙な感覚を覚えた。
 結局あれは何だったのだろう?
 そんな取り留めもないことを考えながら、永久を撫でようとして、しかし、左手は永久に右手はレイたんに、抱きつかれていた事を思い出し諦める。
「ごしゅじん……さま……」
 その時、永久が寝言を呟いた。傷口を擦る牙が心地良い。
 得体の知れない、しかし優しく暖かい何かに満たされる様な、奇妙だが心地良い感覚を味わいながら、私は再び意識を手放した。

「さあ、いざ行かん冒険者ギルドへ!」
 未だ朝霧も晴れ切らぬ頃に起き出したレイたんは、目覚めたばかりにも関わらず、冒険者ギルドに行こうと言い出した。余程、楽しみにしていたらしい。
「……まだ開いていませんよ?」
「むう」
 残念そうにうなだれるレイたん。
「それに、最初は服屋に行きますよ」
「何故だ?」
 心底不思議そうに首を傾げるレイたん。
「軽く調べてみたところ、レイたんの世界が見つかるのはしばらく先に成りそうでして。最初に言った一ヶ月と言うのは、かなり長めに見積もったつもりだったのですが、本当に今月一杯はこちらで過ごす事に成りそうです。その間、ずっと永久の服を着ている訳にもいかないでしょうから、何着か用意してしまおうかと」
「……すまん、手間をかける」
 服屋に行く理由が自分の服を揃えるためだと知った途端に、レイたんは申し訳なさそうに俯いてしまった。普段は傍若無人な癖に妙な所で義理堅い。
「いえ、美少女に貢ぐというのも中々楽しいものですよ? それに……」
 レイたんの体を舐める様に見つめながら言葉を紡ぐ。
「レイたんには楽しませて頂いていますしね」
 普通の少女なら、怯えるか嫌悪感を覚えるかのどちらかであろう下劣な言動だが、レイたんはきちんと私の意図を読み取ってくれたらしい。
「そ、そうか? ……うむ、この様な美幼女を自由に出来るのだ、さぞかし楽しかろう!」
 完全に遠慮が消えた訳でもなかろうが、先程よりは幾らかは明るい顔になった。
 その時、私達の会話で目を覚ましてしまったのか、永久がもぞもぞと動いた。
「永久も起きてきたようですし、朝食にしましょう」
 部屋に朝食を運ばせるため、枕元に置かれた呼び鈴を鳴らす。
「はい、ごしゅじんさま!」
 寝起きで頭がすっきりしないのか、舌足らずに頷く永久を撫でながら朝食が運ばれて来るのを待った。

「あらまあ、可愛らしい御嬢様だこと! もしかして、新しい愛人さん?」
 朝食を食べてしばらくゆっくりした後、以前に何度か利用した事のある服屋に足を向けた。店員はどうやら私の事を覚えていたらしい。
「可愛らしいでしょう? そうですね……取り敢えずは、ドレスを二着と普段着を五着、今週中にお願いします。予算は気にせずとも構いません、請求は何時もの様に魔王協会会長室資産管理部へ」
 店員に注文を伝えると、妙な顔をされた。
「おやまあ、メイド服でなくても宜しいの?」
「……これは、替えの服が無かったので永久の服を着せただけです」
「あら、そうでしたの。でしたら、普段着の一着は今日中に仕上げた方が良さそうですわね」
 店員はサイズを測るため、レイたんの手を引いて店の奥に歩いて行った。
「貴女、タンタロス会長に気に入られた様ね。あの人は良い人よ。……少しロリコン気味だけど」
「うむ、私は幼女なので大丈夫だ。昨日もたっぷり可愛がって貰ったぞ!」
「あらあら」
 少し頭を抱えたくなる会話を聞きながら見送ると、さして間も置かずに二人は戻ってきた。

「さて、そろそろ冒険者ギルドに行きましょうか?」
 服の注文も終わったので、いよいよレイたんお待ちかねの冒険者ギルドに行く事にした。
「はい、御主人様!」
「うむ、待っていたぞ!」
 永久とレイたんが元気良く返事をする。
「それにしても、どんな依頼を出しましょうか」
 ガイドでも募集するべきだろうか?
「む、依頼? 冒険に行くのではないのか?」
 レイたんが不思議そうに口を開いた。
「嗚呼、冒険者と言えども遺跡や秘境の探検に行く様な事は稀で……何か話が噛み合っていない気がします。レイたん、冒険者ギルドはどう言う所だと認識していますか?」
 妙な違和感を覚えたので、確認を取るべく尋ねてみる。
「うむ? 依頼を受けて冒険に行く所だろ?」
 嗚呼、そこでしたか。
「無理にお金を稼がなくても、生活費くらいはちゃんと出しますよ」
 この子は本当に妙な所で義理堅い。私はレイたんを抱きしめた。
「む、むう。まだ誤解がある様だな」
「おや?」
 しばらく話を聞いてみた所、どうやら冒険に憧れていたらしい。
「確かに冒険者ギルドは、年齢性別出身に関わらず登録出来ますが……」
 猫探しや下水掃除の様な依頼も無いでは無いが、レイたんがそんなものを求めているとも思えない。
「鉄扇術には自信がある。ナイフで武装したコンビニ強盗を撃退した事もあるぞ!」
 何処からか取り出した鉄扇を弄びながら、誇らしそうに胸を張るレイたん。
「その鉄扇は何処から……いえ、そう言えば最初から持っていましたね」
 レイたんを拾った時に、制服の中から鉄扇が転がり出てきた事を思い出した。その後、見る事もなかったので忘れていたのだが……。
「まあ、無理に止めはしませんけど」
 例え死傷したとしても大抵の場合は治せる訳で、レイたんであれば多少ショキングな場面に出会しても、そう簡単に壊れたりはしないだろうから、積極的に勧める事は出来ない物の、そこまで無理に止める必要もない。
「さあ、早く行くぞ!」
 こうして、レイたんに急かされながら冒険者ギルドに向かうのだった。

06

 レイたんの服を注文してから幾らかの時間が過ぎた頃、私達は彼女の希望に従い冒険者ギルドの前に来ていた。
「おお、ここが冒険者ギルドか!」
 ここに来る事を余程楽しみにしていたのか、レイたんが感極まった声を上げる。
「……恥ずかしいので止めて下さい」
 冒険者ギルドを見て歓声を上げる美少女(或いは美幼女)メイドは酷く注目を集める。
「む? そうか?」
 不思議そうに首を傾げるレイたん。
「余り騒ぎすぎると、悪目立ちしますよ?」
 永久がレイたんを窘める。ここで話し込んでいても仕方がないので、取り敢えずは冒険者ギルドに入ってしまう事にした。

 冒険者ギルドは、この世界の技術水準からすれば立派な部類に入る小さな館程の石造りの建物だ。正門から入ると受付窓口が幾つか並んでいる。私達はその中の一つ、冒険者の新規登録等を行う窓口で手続きをしていた。
「まずは、こちらの書類に名前を記入して下さい。代筆も承りますが、その場合は銅貨六枚を頂きます」
 渡された書類に名前を記入する。レイたんは少し悩んでいたが、私や永久がこちらの物ではない文字で名前を書いているのを見て、故郷の文字で書く事にした様だ。
「書いたぞ、これで良いか?」
「……はい、大丈夫です。冒険者証を発行しますので、しばらくお待ち下さい」
 係の女性に書類を渡すと、彼女はそれを奥に持って行った。
 しばらく待っていると受付嬢は、銀色の金属光沢を放つカードを持って戻ってきた。カードの表面には名前や顔写真と共に、レベルやクラスと言った項目が書かれている。
「おお、レベルが書いてある!」
 渡されたカード――恐らくは冒険者証――を見て歓声を上げるレイたん。
 係の女性は微笑ましそうにレイたんを眺めながら、口を開いて説明を始めた。
「冒険者証は、依頼を受ける時や報酬を受け取る時に必要なので、無くさない様にして下さい。万が一無くした場合、再発行に銅貨二十四枚が必要になります。冒険者証に書いてあるレベルは持ち主の大まかな強さを表しており、討伐等の危険を伴う依頼はレベルによって受注制限が掛けられている事が多いので御注意下さい」
 うむうむと頷くレイたん。
 因みにレベルは戦闘能力と言うよりも、存在の重みとでも言った方がしっくり来るのだが……健康な人間の場合、レベルと戦闘能力に全く相関がないと言う事はまずないので、完全に間違いと言う訳でもない。
 元々このレベルは、比較が難しい様々な存在の格を解り易く表そうと魔王協会で生まれた概念で、幾分不確かな基準にもかかわらず、その解り易さから広く用いられている。
「私は八レベルか、高いのか低いのか良く解らんな。お兄さん達はどうだ? 何となくお兄さんは高そうだが」
 可愛らしく首を傾げるレイたん。基礎訓練を終えて部隊に配属される新兵が大体四レベルから六レベルなので、八レベルと言う数字は、彼女が幼女と呼んでも差し支えない年齢の少女である事を考えれば、いっそ異常だ。鉄扇術に自信があると言っていたのは本当だったらしい。
「九十九レベル、この冒険者証で表示出来る上限ですね。正確に計測したいのであれば、別の器具を用いる必要がありますが……まあ、今はそこまでする必要もないでしょう」
 高位の魔族等が、人間用の器具でレベルや魔力を計測した場合、この様にカンストしてしまって正確に計測出来ない事も多い。
 私に続く様に永久が口を開いた。
「七十五レベルでした。でも、御主人様や私は戦闘能力に直接影響しない部分での加算が大きいので、余りレベルを当てにしないで下さいね?」
 七十五レベルと言えば英雄クラスのレベルだが、永久の戦闘能力は二十レベル前後の冒険者と同程度だ。
 私も、九十九レベルの冒険者程度ならばどうとでも出来るだろうが、実際のレベルと、戦闘能力の比率は永久と同じ様な感じになる、或いは更に酷いかも知れない。
 これは戦闘を生業としていない高レベルの者には珍しくない、レベルは必ずしも戦闘能力だけを評価しているわけではないのだ。
 極端な例だと、ひたすら円周率を暗記し続けて三レベルから六十二レベルまで上がった者も存在する。
「これで、あなた方の冒険者登録は完了しました。依頼を受ける場合は、あちらの掲示板から依頼書を剥がして、依頼受注窓口までお持ち下さい」
 微笑ましそうに私達を見ていた受付の女性は、頃合いを見計らって手続きの終了を告げた。
 さて、レイたんが期待に満ちた目でこちらを見上げている事だし、依頼を探しに行くとしようか。

「思った以上にカオスだな……」
「……確かに、此処までとは思いませんでした」
「御主人様、魔法学者の募集がありますよ?」
 依頼を張り出してある掲示板を見た私達は、余りの混沌振りに呆れていた。
 確かに、魔物討伐や隊商の護衛と言った依頼もそれなりにあるが、家の掃除や店番は当たり前、果ては、人体実験用の検体や魔物の繁殖用母体と言った物騒な物まで、異常にバラエティー豊かだ。
「……取り敢えず、このゴブリン退治の依頼でも受けましょうか」
「そうだな……」
「はい、御主人様!」
 異様な依頼書達を眺めていても仕方がないので、如何にもな感じのゴブリン退治の依頼を受ける事にした。場所はこの街から馬車で半日程の村、数は推定五匹で報酬は銅貨六十枚。ゴブリンは、極稀に人間の女性を誘拐して、繁殖用母体に用いる事例が報告されている事が、不安と言えば不安だが、余程の事がない限りゴブリンに不覚を取る事は無いだろうから、特に心配する必要は無いだろう。
 それにしても、永久はあの異様な依頼書群が気にならないのだろうか?

07

「遅い!」
 ゴブリンに囲まれたレイたんは、手にした鉄扇でゴブリン達の首をへし折っていく。
 ゴブリンを発見するなり突撃して行った時はどうなるかと思ったが、これなら問題は無さそうだ。
 その様子をしばらく眺めていると、やがてゴブリンを全滅させたレイたんが戻って来た。
「終わったぞ!」
 今回は何事も無かったが、何時までもそうであるとは限らない。少しばかり釘を差しておくべきだろう。
「もう少し慎重に行動しなさい。殺されたり犯されたりしたら、体を治して記憶を書き換える事は出来ても、そう言う事が起こったと言う事実だけはどうしようも無いのですから。勿論、時間の遡行措置が出来ない訳では有りませんが、それとて先に述べた対処と大きく変わるとは思えません。……誰も知らないのならば、起こっていないのと同じ事だ、と言われればそれまでなのですが」
 本当の意味で過去を変える事は出来ない。何らかの手段を用いて過去を変えた様に見えても、『過去を変えた』と言う過去は消し去る事が出来ないのだから。……いや、厳密には出来ない訳ではないが、それは『過去を変えたと言う、過去を変えた』と言う過去になるだけで、本質的には何も変わらない。
「……すまん、つい浮かれてしまった」
 うなだれるレイたん。しかし、続く言葉は予想外の物だった。
「私の体はお兄さんの物なのに、他の男に犯されたりしたら駄目だな」
「……私は、貴女を奴隷にした覚えはありませんよ?」
 レイたんは、尚も言い募る。
「私は助けられたお礼に体を差し出し、お兄さんはそれを受け入れた。ならば、心は別としても、体はお兄さんの物だろう? 嗚呼、心は別と言っても、お兄さんが嫌いだとか、嫌々抱かれているとか言う事ではないぞ」
 育った世界の違いだろうか。時折、レイたんとは妙な所で会話が噛み合わない。
「……その辺りに関しては別の機会に改めて問いただすとして、話を戻しましょう。私の物云々以前に、そう言う事自体が恐ろしいとは思わないのですか?」
 私の言葉にレイたんは、得心したとばかりに手を打ち合わせた。
「もしかして、心配してくれたのか? お兄さんは優しいな」
 ようやく伝わったらしい。
「まあ、結局は気分の問題なので、気にならないと言うのならば特に問題は無いのですが……」
 そう言えばミルドでは、同じ様な遣り取りで一日潰れたのだったか。
「うむ、治るのであれば気にはならぬが、お兄さんの心遣いは嬉しかったぞ」
 レイたんは笑顔で話を締めくくった。

「そう言えば、この後はどうすれば良いのだ?」
「確か、村人にゴブリンの遺体を確認させて、依頼書に村長のサインを貰えば、冒険者ギルドで報酬を受け取れるはずです」
 ゴブリンの亡骸を眺めながら、レイたんの問いかけに答える。
 浅黒く皺に覆われた皮膚、低い鼻と血走った目、毛のない頭部に、裂けた様な口からはみ出す牙。大まかな輪郭は人間の子供に似ているが、近くで見れば見間違える事は無いだろう。……いや、醜い子供を指して『ゴブリンの様な子供』と呼ぶ表現も有るのだが。
 彼らは人間に非常に近縁な妖魔の一種で、数匹から数十匹程度の群を作る。多くは人里離れた山奥に生息しているが、偶に人里に降りてくる場合があり、その様な群は畑を荒らしたり家畜を奪ったりと、村に被害を出す事が多いため、今回の様な討伐依頼が出される。
 なお、余り一般には知られていないが、ゴブリンの雌は人間の少女に極めて近い姿をしており、時折奴隷市場に並ぶ事もある。雄に比べて数が少ない上に、巣穴等に隠れている場合が多く、意図的に探さない限り目にする機会は少ない。上手く捕まえられれば小遣い稼ぎになるが、雄を皆殺しにした以上、放って置いてもその内餓死するので、無理に探す必要も無いだろう。
 そんな事を考えていると、永久が村人を連れてきた。
「御主人様、連れて来ましたよ」
「……へい、確認しやした。村長の所に案内しやす」
 村人はゴブリンの遺体を確認すると、村まで案内してくれた。
 村長は直ぐにサインをくれた。村長曰く、数年に一回は同じ様な事があるため、慣れてしまったらしい。
 その後、日が暮れていたため、村長の家で一泊してから帰る事にしたのだった。

 翌日の昼頃、セイレンの街に帰り着いた私達は、冒険者ギルドへ報酬を受け取りに来ていた。
「こちらが報酬になります」
 契約書を確認した受付の女性は、銅貨の詰まった革袋を差し出す。数えると、確かに六十枚有る様だ。
「はい、レイたん」
 受け取った銅貨をどうするか少し悩んだが、レイたんに渡す事にした。お小遣いを渡そうと思っていた所だったから、丁度良い。
「良いのか?」
「ええ、結局レイたん一人で片づけてしまいましたし」
 傍らの永久も、特に文句を言う様子は無い。

「麗兎! 麗兎じゃないか!」
 用事も片づいた事だし、昼食を何処で食べようか考えていると、一人の男が話しかけてきた。
 均整の取れた体つきに、使い込まれた革鎧、腰には剣を吊している。男は冒険者なのだろう。
「ん……? まさか、二年前に失踪した戒兎(かいと)兄上か?」
 彼――レイたんの言葉を信じるのならば戒兎と言うらしい――は、レイたんの兄である様だ。
 昼食を食べながら話を聞くとしよう。私は、永久の頭を軽く撫でた。

08

 冒険者ギルドで戒兎に出会った後、彼とゆっくり話し合うために近くの料理店に移動した。
「さて、そろそろ話して貰いましょうか」
 注文と自己紹介を終え、彼に話を促す。
「分かった。僕がこっちに来たのは二年前、十四歳の時だ……」
 彼の話を要約すると、ある日、突然この世界に来て、言葉も分からずに途方に暮れていたところを冒険者の女性に拾われ、今ではその女性と一緒に冒険者をしているのだとか。
「何と言うテンプレ」
 戒兎の話が終わるなり、そんな事を言ったのはレイたん。生き別れの兄に再会出来たと言うのに、相変わらずの様子だ。
「確かにそうだけどさあ……。折角再会出来たんだから、もう少し何か無いのかい?」
「いや、それ以外に言い様が無かろう」
 眺めていても仕方がないので、本題を切り出す。
「それで、元の世界に帰りたいのであれば、レイたんを帰す時に一緒に送りますが、どうしますか?」
「へ、帰れるんですか?」
 帰れるとは思っていなかったらしく、目を見開く戒兎。
「ええ、この世界ではマイナーですが、世界を渡る術は確かに存在します。現在、座標の特定に少々手こずっていますが、それも一月もすれば終わるでしょう」
 この世界では魔王協会が異世界の組織だと言う認識が薄いため仕方が無いかもしれないが、彼が持っているだろう冒険者証に搭載されたレベルシステムも、世界間移動術を用いてこの世界に持ち込まれた物なのだが。
 私は「どうします?」と改めて問うが、戒兎は答えなかった。二年も暮らしていれば、それなりに愛着もあるのだろう。
「まあ、直ぐに決める必要もありません。さて、料理も来た事ですし、食べましょうか」
 話を打ち切って食事を始めたが、彼の顔が晴れる事はなかった。

「良かったのですか? 付いて行かなくて」
 戒兎と別れる時、レイたんは彼の一緒に暮らさないかと言う提案を断った。
「いや、お兄さんの所の方が生活水準が高い気がして」
「……分からなくもありませんが」
 確かに、基本的には生活が安定しない、冒険者である戒兎の所よりも、私の所の方が生活水準は高いだろう。しかし、それを理由に兄の誘いを断ってまで、私の所に居ると言うのはどうなのだろうか。
「それに、少なくともこの世界にいる間は簡単に会えるだろうからな」
 ぽつり、と付け加える様にレイたんは言った。素っ気ない対応をしてはいたが、全く気にしていなかった訳でも無いのだろう。

「そう言えば、さっきからこちらを睨んでいるあの集団は何だ?」
 レイたんの指す方向を見ると、『奴隷制度反対』『労働には正当な対価を』『変態は死ね』などと書かれたプラカードを掲げる集団がいた。
「嗚呼、あれは奴隷解放を掲げる人権団体ですね。私が幼い少女を買うのはその筋では有名なので、目の敵にされているのです」
「私を無理矢理御主人様から引き離そうとしたり、知り合いの奴隷商人さんの家を襲ったりするのですよ!」
 私の言葉に続いて、永久が珍しく声を荒らげる。永久は奴隷解放団体の事をあまり良く思っていないらしい。
「中々に過激だな」
 レイたんが相槌を打つ。奴隷解放団体の全てがそこまで過激な訳ではなく、むしろ穏健派の方が多いのだが、永久が言う様な過激な団体もそれなりの数に上る。因みに目の前の団体は、市民に奴隷制度の非道を訴え、奴隷制度廃止の風潮を起こそうとしている比較的穏健派の団体だったはずだ。永久は更に言い募ろうとしたが、それを手で征する。
「ここで話し込んでいても仕方がありません。移動しましょう」
「はい、御主人様!」
 少しはごねるかとも思ったが、永久は思いの外素直に頷いてくれた。

「お久しぶりですな、本日も色々と取り揃えておりますぞ。こちらの娘は初物です」
 小太りの男は、永久やレイたんよりは幾らか年嵩に見える少女を示した。
「今日はこの子の案内です。……永久、奴隷の衝動買いはやめなさい」
 財布を開こうとする永久を押さえながら、レイたんを見せる。
 あの後、奴隷制度がどの様なものなのか見たいと言うレイたんの希望を叶えるべく、裏通りの奴隷商人の所に来ていた。
「案内と言いますと……もしや、買い取り希望ですかな?」
「いや、観光だ。奴隷制度の無い国から来たから気になってな」
 商人の勘違いをレイたんが正す。
「おや、そうで御座いましたか。それでしたら、記念に一人如何ですかな? 国に連れて帰れないのでしたら、帰る時に売り払うなり殺してしまうなりすれば大丈夫ですぞ」
 そう言って笑う商人。
「むう、そうしたいのは山々だが、私自身お兄さんに保護されている身でな。あまり迷惑をかける分けにも行くまい。」
 レイたんは心底残念そうに言った。……別に奴隷くらい買っても良いのだが。
「タンタロス会長はお優しいですから、頼めば奴隷の一人や二人は買って下さると思いますぞ。ねえ、会長?」
 私に向かって揉み手する商人。
「レイたん、彼の言う様に奴隷の一人や二人、大した事は有りませんから、我慢しなくても良いのですよ?」
 諭す様に語りかける。この子は訳の分からない所で律儀だ。
「そう言ってくれるのは有り難いのだが、どうしても気が引けてしまうのだ」
 レイたんは何処か申し訳なさそうに言った。
「まあ、無理にとは言いませんが……」
 こうも遠慮されると、何処か寂しい気持ちになる。
「ところで店主、奴隷とは幾ら位する物なのだ?」
 レイたんは話を打ち切ると、店主に問い掛けた。
「そうで御座いますね、最近は平和で奴隷も高騰しておりますから、一番安い部類の男奴隷でも銅貨七十二枚前後はいたしますな」
 商人の言葉に、レイたんが疑問の声を上げる。
「平和だと高くなるのか?」
 その問いに答えたのは永久だった。
「奴隷の主な供給源は戦争捕虜ですから。それに、平和で余裕が出来れば愛玩奴隷の需要も上がりますしね」
「成る程な。――例えば、私なら幾ら位になる」
 レイたんは永久の言葉に頷くと、店主に訪ねる。
「ふむ、御嬢様でしたら、処女ならば金貨二百八十八枚、そうでなければ半値程で買い取らせていただきますぞ」
 商人はレイたんを軽く見ると、そう答えた。
「ほう、金貨百四十四枚か」
 暗に処女では無いと告げるレイたん。

 その後、しばらく話していると日も傾いてきたので、服屋でレイたんの服を受け取り、宿に帰った。

09

「――と言う訳で、吸血鬼化の魔法は感染性を持った複数の呪詛の集合と考える事が出来ます。詰まりは、吸血鬼化の魔法の中の幾つかの効果だけを限定的に機能させる事も、理論上は可能であると言えましょう。ただし、吸血鬼化の魔法に含まれる各呪詛は互いに不足部分を補って機能する様に作られているため、各呪詛を単体で使用した場合には高確率で不具合を生じ、多くの場合には生命維持すらままならないでしょう。何らかの理由で感染が上手く行かなかった場合にも、同様の事態に陥るケースが報告されており……」
 講義を聴くのはレイたんと、彼女と同じ年頃の金髪の少女。永久は私の膝の上に座っている。
「成る程な」
「む、難しいよう。魔法って言ったらもっとこう、ドーンとかバーンとか……」
 前者はレイたんで、後者は金髪の少女。金髪の少女――アリスの認識は流石にどうかと思う。

 戒兎に出会った翌日、私達は商人の護衛を引き受けた。……引き受けたのは良いのだが、商人の娘――アリスと同年代の少女が二人も居たからか、馬車内でアリスの話し相手をする事になってしまった。そして、気が付いたら何故か魔法の講義をしていたのである。外ではもう一組の冒険者が警備をしている。
「ねえねえ、そんな地味なのじゃなくて、もっと格好いいのを教えてよ。詠唱破棄とか多重詠唱とか」
 私の話に飽きたらしいアリスはそんな事を言った。
「む、そんな物があるのか?」
 レイたんも興味があるのか身を乗り出す。
「……まあ、良いでしょう」
 正直なところ、魔法戦闘は専門外なのだが、仕方有るまい。
「まず、詠唱破棄ですが、これはそもそも技術ではありません」
「そうなのか?」
「どう言うこと?」
 私の言葉に首を傾げる二人。
「はい、そもそも本来であれば、魔法に詠唱などと言った物は必要有りません。しかし、脳内で術式を展開するだけでは揺らぎが大きく、正常に発動しない事も多かったのです。それを解消するために詠唱や魔法陣と言った技術が生まれたのです。ですから、詠唱破棄自体は技術でも何でも無い訳です」
 二人は感心した顔で話を聞いている。
「次に多重詠唱ですが、これは多重思考と呼ばれる技術を魔法に転用したもので、多重思考自体は数百時間に及ぶ連続勤務を強いられた某所の事務員達が、左右の手で別々の仕事を同時にこなすために編み出したと言われています」
 今でこそ、人造事務員の大量配備によって大分ましになったそうだが、魔王協会の事務員達は一時期かなり悲惨な状態だったらしい。この様な経緯で生まれたせいか、如何にも戦闘魔法使いが好みそうな技術であるにも係わらず、多重詠唱を使える者の多くは事務員である。
「何という無駄知識」
「……えっと」
 うんうんと頷くレイたんと、戸惑っているアリス。私自身、初めてこれを知った時には何とも言えない気分になったものだ。

「ねえねえ、麗兎達は私と同じ位の年なのに、どうして冒険者をしているの?」
 魔法の話にも飽きたのか、アリスがそんな事を聞いた。
「む、異世界トリップで冒険者になるのは定番だろ? いやまあ、どちらかと言えば男の子の場合の定番かも知れんが」
 さも当然とばかりに、よく分からない答えを返すレイたん。彼女の考えは未だに分からない。
「どう言う事? と言うか、異世界トリップって何?」
 アリスも首を傾げている。
「まずは、そこからか。異世界トリップと言うのはだな、言葉通り異世界に移動してしまう事なのだが、私の国にはこれを取り扱った物語が結構あってだな……」
 レイたんは何処か楽しそうに説明を始めた。
「えっと……、物語を読んで冒険者に憧れてたって事?」
 レイたんの説明を聞いてもよく分からなかったのか、自信なさげに聞き返すアリス。
「まあ……、その認識でも間違いでは無いか」
 レイたんは少し考えると、そう結論づけた様だ。
「でも、異世界って言うのはよく分からないけど、遠くからいきなり連れて来られたんだよね。大丈夫だったの?」
「嗚呼、割と直ぐに……」  アリスの言葉に、レイたんはそのまま答えようとしたが、急に何かを思いついたかの様な笑みを浮かべると、体を小さく縮めて目尻に涙を浮かべ語り出した。
「……いきなり見知らぬ場所に放り出されて、人を探して歩き回っていると倒れちゃって。ようやく優しいお兄さんに助けられたと思ったら、その日の夜には体を求められて……。お兄さんは私が倒れても魔法で治して、何度も、何度も……」
 言い終わるなり、泣き崩れるレイたん。――事実だけを見れば、嘘では無い辺りが嫌らしい。
「大変……だったんだね」
 アリスはレイたんを抱きしめると、私を睨みつけてきた。
「お兄ちゃんは……優しい人だと思ってたのに!」
 築き上げた信頼が、そのまま嫌悪に変わったかの様なアリスの糾弾。直ぐ横では、レイたんがニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。
「御主人様は、優しいですよ?」
 そんな時に声を上げたのは、私の膝の上に座っている永久だった。
「え、でも……」
 不意を突かれて戸惑った声を上げるアリスに向けて、永久は更に言葉を紡ぐ。
「御主人様は、奴隷に過ぎない私をとても大切に扱ってくれました。ただ生きていくだけなら必要ない程の量の血液を求める私に、嫌な顔一つせずに応えてくれました。私を売った実家とも和解させてくれました。帰りたければ帰って良いとまで言って下さいました。それに……麗兎さんの事も、何の見返りも無く保護されるのを申し訳なさそうにしていた麗兎さんを安心させるために……」
「そう……なの?」
 永久の言葉に、アリスはこちらを見つめながら首を傾げた。
「確かに、そう言った面もありました。しかし――」
「実は私から誘ったのだ。不用意な発言で皆を困らせてしまってすまなかった。謝罪しよう」
 私の言葉を遮ったのはレイたん。
「最初は少しお兄さんをからかうだけの積もりだったのだが、思った以上に大事になってしまった」
 レイたんの言葉に、アリスは呆然としている。

 その後、途中からアリスが妙に顔を赤くする様になったこと以外は特に問題も無く目的の村に商品を届け、そのまま帰路も護衛を果たした。

10

 これは、商人の護衛を終え、早く次の依頼を受けようとするレイたんを宥めながらセイレンの街でくつろいでいた時のこと。
「そう言えば、お兄さんは日本語を知っていたな」
 窓から月光が差し込む中、寝台に腰掛けたレイたんはそんな事を口にした。
「はい、それがどうかしましたか?」
 確かに私は、レイたんが使用している日本語と言う言語を話せる。しかし、今更その様な事を尋ねてどうすると言うのだろうか?
「いやな、お兄さんは私が来た世界を探してくれているそうだが、日本語を使っている世界がそうなのではないか?」
 成る程、そう言う事か。
「特に関係のない世界で、同じ言葉を使っていると言うのは別に珍しい事ではありません。どうやら、収斂進化の魔法の副作用らしいのですが、今回の様な場合には面倒ですね」
「成る程、そう言う事だったのか。しばらく前から気になっていてな。ところで、収斂進化の魔法とはなんだ?」
 レイたんはひとまず納得すると、収斂進化の魔法が気になったらしく、身を乗り出して尋ねてきた。
「そうですね、この世界とレイたんの世界、何故同じ人間が住んでいるのかを疑問に思いませんでしたか?」
 私の言葉に、レイたんは少し考えて答えを返す。
「お約束すぎて気にもしていなかったが……言われて見ると、ここまで同じなのも妙な話だな」
 締めくくる。
「要するに、その原因が収斂進化の魔法です。基本的には世界創造直後から生物発生の初期に使う魔法で、所謂人間が発生する様に環境や因果律を制御します。……当時はこんな弊害があるとは夢にも思いませんでした」
 まさか、殆ど関係がない世界で類似した言語が使われる様になるとは。
「成る程な。まあ、ゆっくり異世界観光が出来て私は嬉しいのだがな」
 そう言って、レイたんは微笑んだ。

「そう言えば、今の話で思い出しましたが、後数日でレイたんの世界が特定出来ますから、戒兎にレイたんと一緒に帰るのかを確認して置いて下さい」
 候補となる世界は数十個にまで絞り込めているのだ。戒兎にも、そろそろ帰るのか帰らないのかを決めて貰わなければならない。
「分かった、伝えて……そう言えば、戒兎兄上は何処に住んでいるのだ?」
 レイたんは私の言葉に頷こうとしたが、どうやら戒兎の住所を知らなかったらしい。
「……そう言えば、聞いていませんでしたね。後で魔法を使って探しましょう」
 何となくレイたんなら知っていそうな気がしたが、知らないのであれば仕方がない。他にも探す方法は幾らでもあるが、矢張り魔法を使うのが一番簡単だろう。
「便利だな、魔法」
 確かにそうなのだが、どうして呆れた様な声で言うのだろうか?

「そして、戒兎兄上を魔法で探し出した訳だが」
「御主人様、麗兎さんは誰に言っているんですか?」
 虚空に向かって語りかけるレイたんを見た永久が、私に尋ねてきた。
「あまり気にしない方が良いですよ。分かる人には当たり前の様に分かりますが、初見で分からない人にはまず分かりませんから」
 そう言って、永久の頭を撫でる。
「はい、御主人様!」
 永久は笑顔で答えると、気持ち良さそうに目を細めた。
「何故にダンジョンにいるのだ! そんな楽しそうな場所に行くのなら、誘って欲しかったぞ!」
 一方、虚空に向かって吠えているレイたん。普通は誘わないと思う。
「折角ですし、追いますか?」
「良いのか?」
 私の言葉に、レイたんは目を輝かせる。
「連絡を急ぐ必要もありませんが、どうせ暇ですし、興味があるのならば良いでしょう」
「ん? ツンデレか?」
 レイたんが妙な事を呟いたが、今更なので気にしない。

「麗兎に、ルーツさんと永久さんですか? 何でこんな所に?」
 魔法で戒兎の近くに転移すると、戒兎が声をかけてきた。彼の周りにいた三人の女性も驚いた顔でこちらを見ている。
「もうすぐ元の世界に帰れそうだから、一緒に帰るのかを確認しにきたのだ。……ハーレム?」
「い、いや、確かにそう見えるかもしれないけど!」
 レイたんの言葉に、戒兎は大慌てで叫んだ。そうしていると、戒兎の周りにいた女性の一人が話しかけてきた。
「戒兎の知り合いの様だが、御前達は何者だ?」
 大剣を背負った長身の女性で、鍛えてはいる様だが決して筋肉質という訳ではなく、均整の取れた女性的な体つきをしており、顔立ちも整っている。一般的には魅力的と評されるだろう女性だ。
「私はルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世、魔法使いです。この子は従者の永久=桜乃小路=アイオーン。先程から戒兎と話しているのが空乃宮麗兎、戒兎の妹です」
 女性は戒兎からレイたんのことを聞いていたらしく、「成る程、彼女が……」の言葉と共に僅かに警戒を緩めた。
「失礼した、私はこのパーティーのリーダーでセリエと言う。あなた方の事は戒兎から聞いている」
 他の二人も自己紹介を始める。
「アリシア……魔法使い……」
「エリスって言います」
 永久やレイたんと同じ年頃の無表情な少女と、十代半ばから後半に見える女性が頭を下げた。女性の方はハーフエルフの様なので、実際の年齢はもう少し上なのかもしれない。
「さて、本人から聞いているかも知れませんが、レイたんと戒兎は、異なる世界からこの世界に迷い込んだ迷い人と呼ばれる存在です。そして、私は二人を元の世界に帰す術を持っている。どの世界なのかが分からなかったので、この一月程探していたのですが、それも後数日で特定出来るので、戒兎がレイたんと一緒に帰るのかを確認しに来ました」
 この前は随分と悩んでいましたが、決められたのでしょうか?

11

「僕は……帰るよ」
 改めて私が帰還の意思を尋ねると、戒兎は少しだけ迷って答える。
「エリス達に会えなくなるのは寂しいけど、二年ぶりに麗兎にあって、矢っ張り僕が居る場所はあっちなんだって、思ったんだ」
 そう語る戒兎は泣き笑いの様な表情を浮かべ、彼の周りの女性達も沈痛な面持ちで俯いていた。

「あっ! でもここの探索が終わるまでは待ってくれないかな?」
 戒兎が思い出した様に言うと、周りの女性達の顔に僅かだが明るさが戻る。
「構いませんよ。元々、まだ数日は待たなくてはいけませんし。では、街に戻ったら黄金の雄鹿亭と言う宿に――」
 連絡を下さい、と言おうとした所でレイたんに袖を引かれた。
「折角だから、戒兎兄上達について行っても良いか?」
 レイたんの言葉を考える。向こうが了承するかは別として、特に問題がある訳ではない……と言うか、私に許可を求める必要もない。
 ただ何となく一緒にいただけで、彼女の行動を縛る権利も、彼女の安全を保障する義務も私には無いのだ。
 ……実は彼女が自らの体を差し出した際に、ある種の契約が成立してはいるのだが、その内容は衣食住の保証に限られている。
 とは言え、何度も肌を重ねていれば、それなりに情も移るものだ。
「セリエさん、私達も付いて行って良いですか? 自分たちの身体くらいは守れますし、分け前なども要りません」
 見ていない所で死なれても目覚めが悪いので、私達も付いて行く事にした。……例え死んだとしても、治せば良いだけの気もするが。レイたんなら一回や二回死んでも気にしないだろう。
「構わない。ただ、分け前は貰ってもらおう。こちらにも面子があるのでな、ただで高位の魔法使いに働いていただく訳には行かない」
 特に異存も無いので頷く。
「では、有り難く頂くとしましょう」
 私に続いて、レイたんと永久も御辞儀する。
「うむ、宜しく頼むぞ」
「短い間でしょうが、宜しくお願いします」

 時折モンスターに襲われる事もあったが、難なく退け、洞窟を進んでいく。
「順調だな」
 レイたんが退屈そうに呟いた。
「順調なのは良い事じゃないですか」
 ハーフエルフの女性――エリスがたしなめる。
「まあ、そうなのだが……。嗚呼、戒兎兄上が世話になったそうだな、礼を言うぞ」
「人として当然の事をしただけだよ」
 レイたんが礼を告げると、エリスは微笑んで首を振った。
「素でそう言える人は中々に貴重だぞ? 例えば……お兄さん、どうして私を助けてくれたのだ?」
 私に話が振られたので答える。
「面白そうだったからと暇だったから、どちらがお好みですか?」
 レイたんが求めている答えはこの辺りだろう。……いや、嘘くさい笑みを浮かべて、「困った時は助け合わなくてはいけませんよ」等と言うのも良かったかもしれない。
「とまあ、こんな感じに」
「い、今のは、かなり特殊な例だったと思うよ?」
 私の答えを受けて更に言葉を紡ぐレイたんと、その言葉に慌てるエリス。その様子を眺めていると、永久が声をかけてきた。
「御主人様、こんな所で大きな声を出しても大丈夫なのですか?」
 成る程、ダンジョンの中で大声を出して歩いていては、襲われても文句は言えない。しかし、こんな事で一々危機に陥っていては興ざめだ。世界はそれを許さない。
「もし何かあっても、対応出来ないという事はないでしょう」
 厳密には、対応出来ない様な事は起こり得ないのだが。
「はい、御主人様!」
 頷く永久の頭を撫でながら、パーティーの背後から襲いかかろうとしていた大蛇を灰にする。

「そう言えば、ここにはどう言った謂われがあるのだ?」
 周囲を警戒しながら探索を続けていると、レイたんが疑問を口にした。
「ん? 知らなかったのか? ここに、十三人目の十二商人が残した財宝が眠っていると言う噂を聞いて確かめに来たんだ」
 前方を警戒していたセリエが答えを返す。
「十三人目の十二商人?」
 レイたんは首を傾げた。
「詳細は省きますが、十二商人はかつてこの世界を救った英雄です。そして、伝説に語られない十三人目の商人がいて、その遺産が何処かに眠っていると言う有名な言い伝えがあります。彼女達はその情報を手に入れたのでしょう。もっとも、同じ様な話は他にも沢山有るのですが」
 セリエはそれ以上の説明をする気は無い様なので、私が簡単に説明する。
「理解した。要するにテンプレな宝探しだな?」
「まあ、宝探しですね」
 レイたんの言葉から彼女が話を理解したのかを読み取る事は難しいが、まあ、彼女の事だから理解はしたのだろう。

 しばらく進んでいくと、ゴツゴツとした岩肌で歩き難い自然の洞窟が、明らかに人の手が入っていると思われる、整備された通路に変わった。
 壁面には魔法の明かりが埋め込まれ、足下も歩き易い様に均されている。
「目当ての物かはさて置き、何かは有りそうだな」
 皆が考えている事を代弁するかの様に、レイたんが呟いた。

12

 しばらく通路を歩いていくと、小さな村の集会場程の広い部屋にたどり着いた。ここ迄の通路とは違い、部屋全体がうっすらと光を放つ素材で出来ている。
「如何にも、何かありますとでも言いそうな場所だな」
 レイたんがポツリと呟いた。彼女の言葉に応えた訳でも無かろうが、何処からか機械的な音声が響く。
「シンニュウシャハッケン、ハイジョシマス」
 人の数倍に及ぶ巨躯、のっぺりとした顔面、鈍く輝く鋼の表皮。何時の間に現れたのか、何処か荘厳ささえ感じさせるゴーレムがこちらを見下ろしていた。

「参る!」
「最後くらいは良いところを見せないとね!」
 セリエと戒兎がゴーレムに向かって切りかかり、エリスが矢を放つ。それに合わせて、私達も呪文を唱えた。
「汝等、英霊を狩る悪鬼」
「照準術式三番正常起動、身体強化術式二番正常起動。実行」
「……精霊よ、彼の者等に偽りの命を否定する力を、……ゴーレムキラー」
「喰らえ、幼女ビーム!」
 私、永久、アリシアが唱えたのは無難な強化魔法。レイたんは……謎の破壊光線を放っている。
「矢張り、剣では歯が立たんか」
 セリエの舌打ち。案の定と言うべきか、セリエと戒兎の剣、エリスの弓はゴーレムの装甲に弾かれてダメージを与える事が出来ない。レイたんの破壊光線はそれなりに効いた様だが、直ぐに魔力が尽きたらしく、「きゅう……」と鳴いて倒れてしまった。
「…………」
 ゴーレムが軽く腕を振るう。それだけで、セリエ達は壁に叩きつけら倒れてれてしまう。
「生と死を司りし王よ、彼の者等の傷を癒せ」
 取り敢えずは傷を治して置く。
「助かる。回復魔法も使えたのだな」
 セリエ達は再びゴーレムに向かっていくが、剣が効かないせいで攻め倦ねている様だ。先程の破壊光線を見る限り、魔法はそれなりに効く様なので、魔法攻撃に切り替えるべきなのだろう。
「汝、神を貫く閃光」
 適当な攻撃魔法を放ってみると、案の定、多少は威力を削がれた物の、それなりに効く様である。
「照準術式一番正常起動、誘導術式三番正常起動、加速術式二番正常起動。射出」
「……火精サラマンデルよ、汝が力を持って我が敵を焼き尽くしたまえ、……ファイアボール」
 永久とアリシアも同じ事に思い至ったのか、攻撃魔法を唱える。

 セリエと戒兎が囮になって、私達が攻撃魔法でゴーレムの装甲を削っていく。ゴーレムには再生能力がある様だが、よく観察していなければ気づけない程にその再生速度は遅く、戦闘終了後の修繕用だと推察出来る。
 その後、頭部を潰し胸部に風穴を空けてもゴーレムは動き続けたが、脚部を破壊した所、完全に停止してしまった。まさか、足にコアを設置していたのだろうか?

 ゴーレムが停止して、セリエと戒兎が歓声を上げ、私、永久、アリシアが微妙な気分になっていると、エリスに介抱されていたレイたんが目を覚ました。
「さてと、結局あれは何を守っていたのだ?」
 意識を取り戻したレイたんの第一声がこれである。
「だ、大丈夫なの?」
 エリスが心配そうに尋ねる。
「何の事だ?」
 首を傾げるレイたん。魔力切れで倒れた程度は、特に心配される様な事だとも思っていないのだろう。
 永久にしても、レイたんにしても、苦痛に対して妙に無頓着だ。直ぐに治るとは言え、普通はもう少し気にするものなのだが。
「……まあ、良いでしょう。今から周囲を探索しようとしていた所です。レイたんも参加するでしょう?」
 頭を振って思考を振り払うと、レイたんに声をかける。
「うむ、当然だな」
 レイたんは頷くと、身を起こした。

「これは……」
「確かに、遺産と言えば遺産なのかも知れませんが……」
「御主人様、これ、貰っても良いですか?」
 私達の目前にあるのは、十三人目の十二商人――その亡骸だった。
 歴史的には大変貴重な物なのだろうが、金にはならない。
「永久が欲しがっている様ですし、私が買い取っても良いのですが……」
「……流石にそれはな」
 遺体の買い取りを提案してみるが、当然の様にセリエに却下された。
 しかし、そうなると、彼女達は今回の探索で全く収入が無かったことになる。……私達に関しても事情は同じだが、元々金品を目的に探索に参加した訳ではないため、こちらは特に問題ない。
「なに、時にはこんな事もあるさ」
 セリエはとても清々しい笑顔を浮かべた。あるいは、収入が無かったとは言え、戒兎との最後の思い出としては十分な成果だった、とでも考えているのだろうか。
「お兄さん、お兄さん」
 そんな事を考えていると、レイたんに袖を引かれた。
「あれは恐らく、色々とどうでも良くなってしまっただけの虚ろな笑いだ」
「……久々に地の文を読みましたね」
 確かに、言われてみればその様にも見える。

 亡骸を再び埋葬した私達は洞窟を後にした。結局、特に収穫は無かったが、戒兎や彼の仲間達、そして、レイたんには良い思い出になった様である。
 なお、帰りは私の転移魔法で全員を街まで送った。

「それで、良かったのですか? 向こうに行かなくて」
 数日後、レイたん達の世界が完全に特定出来た翌日の昼下がり、宿の寝台の上、つい先程まで身体を重ねていたレイたんに問いかける。
 昨日、明日の夜(つまりは今日の夜)にレイたんと戒兎を元の世界に送り届けると告げた所、セリエ達は戒兎のお別れ会をする事にしたらしい。今頃は、何処かの酒場か料理店でも貸し切って騒いでいる事だろう。
 私達やレイたんも誘われたのだが、その様な席に他人が入っていくのもどうかと思い断ったのだ。
「ん? 嗚呼、たぶん、お兄さんと同じ理由だろう。戒兎兄上はさて置き、あの三人にとって、私は結局他人な訳だ」
 レイたんは、そこで一度言葉を区切り、一拍置いてから残りの理由を口にした。
「それに……、戒兎兄上とはこれから毎日会えるだろうが、お兄さんとはもうお別れだからな」
 どうやら、別れを惜しんでくれたらしい。しかし……。
「……その事ですが、次はしばらくレイたん達の世界に滞在する予定なので、当分は会おうと思えば直ぐに会えます。まあ、無理強いはしませんが、ね」
 レイたんは一瞬惚けた様な顔をしたが、直ぐに嬉しそうな顔になった。
「そうなのか? ならば、私の家に泊まると良い。なに、両親はもう居ないから遠慮する必要はない」
 さらりと爆弾発言をしたレイたんは、なおも嬉しそうに笑っている。
「嗚呼、変に同情されても困るだけだから、あまり気にしないでくれ」
 思い出したかの様に、付け加えるレイたん。
「何故でしょう、気丈に振る舞う様が却って痛々しく見えそうな場面の筈なのに、全くその様な感情が浮かびません。むしろ、居ると私達を招き難いから居ないのだ、とでも言われた様な気分です」
 本当にどうしてだろうか。レイたんは、ここで初めて笑みを崩した。
「むう、同情は要らぬと言っても、流石にそれは少し寂しいぞ。まあ良い。そんな事より、もしかして、お兄さん達もこの世界の住人では無かったりするのか?」
 改めて考えると、確かに酷い言葉だ。とは言え、あっさりと口調を戻した辺り、そこまで気にしている訳でもないのだろう。
「そう言えば、まだ言っていませんでしたね。特に隠していた訳でも無いのですが」
 何時頃に気付いたのか、気にならないと言えば嘘になるが……レイたんの事だ、改めて問い正さなければならない程に不思議と言う訳でも無い。
「うむ、ようやくすっきりしたぞ。ところで、戒兎兄上との約束にはまだ時間がある。その間に、もう一度可愛がってくれぬか? ……今度は、永久たんも一緒にな」
 そう言って、レイたんは生まれたままの姿を晒したまましなだれかかってきた。横で見ていた永久も、慌ててメイド服を脱ぐと、私に身を委ねつつ首筋に牙を立てる。その瞬間、とろけてしまいそうな快楽が全身を染め上げた。
 ……どうでも良いが、永久は先の情事の最中からずっと隣にいたはずなのに、私もレイたんも、全く気にならなかったのは何故だろうか?

 その日の夜、セリエとエリス、アリシアの三人に見送られながら私達はこの世界を後にした。
 それにしても、レイたんも戒兎も帰った後の事は考えているのだろうか?
 特に、二年にも渡って失踪していた戒兎は相当苦労するはずである。
 まあ、あまり私が首を突っ込む事では無いのかもしれないが。