其処は異形の世界であった。
いや、世界の理を知る一握りの者達は、その在り様こそが正常であり、大地と空が存在し生命に満ちた世界こそが異常なのだ、そう言うかもしれない。
しかし、常人にとって見慣れぬ、所か想像すら困難な世界であれば、それを異形と称しようと、間違いでも無かろう。
其処は、何処までも続く果てのない暗闇であり、同時に万色の光が絶えずうごめく光の園でもあった。
其処は見る者の認識によって如何様にもその在り様を変える……、いや、振る舞いを変えると言った方が適切であろう。
其処は世界と世界の狭間であり、本来ならば足を踏み入れる所か、定義してやらねば存在すらしない場所である。
……しかし、人が船を造り大海原を渡った様に、あるいはロケットを造り虚無の領域を越えた様に、この異形の世界も、相応の技術を以てすれば、越えられぬものではなかった。
今日もまた、一台の馬車がその異形の世界を駆けて行く。
先日のシルフィ達のゴタゴタの後、私たちは次の世界を目指して時空の狭間を進んでいた。
「御主人様、次はどんな世界に行くんですか?」
濡れ羽色の髪と夜を映したかのような漆黒の瞳を持った、小柄な体をメイド服に包んだ美少女が、上目遣いにそう尋ねてきた。
「先ほどの世界は比較的平和で、まともな世界だったので、次は混沌とした世界を選びました、第十二次最終戦争の混乱から回復しておらず、超人と呼ばれる存在が争いを続けているようです」
「大丈夫ですか? 御主人様?」
少女が不安そうに問いかけてくる。
彼女の名前は永久(とわ)、私の……、何でしょう?
「大丈夫ですよ、私が護りますから」
そう言って、安心させるように微笑みを向ける。
とは言え、この子自身も正面から相対する限り、大抵の存在には後れを取らないはずですが。
「ありがとうございます、御主人様!」
其処はおぞましい程に不自然で、同時に酷く自然な世界だった。
古の大戦において主戦場となったその世界は荒廃し人の住むに適さぬ荒野が広がっている。
さらに、大戦の折り、生体兵器として肉体を改造された者達の子孫が超人と呼ばれ、力を持たぬ人々を支配していた……。
さて、此処に一人の超人が居る、彼の名はジミー。
彼の能力は異常な筋力と、ポージングを行うことで光線を放つことが出来るという、超人としてはありふれたものに過ぎなかったが、さりとて何の能力も持たず、訓練も受けていないような一般人が対抗出来る様なものでもない。
彼はその力を利用して、行商人のキャラバン等を襲って生計を立てていた。
そして今日もまた、彼の前に哀れな獲物が現れた……。
「ヌハハハハ、食料と金目の物全部おいて居けぇぇい!」
……この世界、通称超人界に入って、近くの町を目指して馬車を走らせていると、筋肉の塊のような大男が進路に立ちふさがり、その様なことをのたまいました。
「わー、あれが超人ですか? 御主人様?」
「チョージン、チョージン」
馬車の窓から外を覗きながら永久が尋ねるのと合わせて、この前の世界で買って、今は籠に入れて窓の外に吊してある人語を話す鳥、ピーチャンが奇声を発した。
「はい、とは言え、皆が皆あの様な暑苦しい姿をしている訳ではありませんがね」
微笑みながら、観光ガイトにでもなったかの様な気持ちで永久の問いに答える。
「そうなんですか?」
「ええ、元々が兵器でしたから様々なタイプがありまして、あれは恐らく拠点の防衛に使用されていた者の子孫でしょう、野戦用の者はもう少しスマートですよ、町に着いたら探してみましょう」
「はい、御主人様!」
そうやって、永久に超人の講義をしていると。
「ヌオオオッ、このジミー様を無視するんじゃねぇぇい!」
馬車の進路をふさぐ筋肉の塊――ジミーと言う名らしい――が吠えた。
「ジミーム!」
彼は意味不明の奇声――この後の展開から考えるに、恐らくはジミービームの変形――を叫ぶとポージングを行った。
すると、謎の怪光線が彼の大胸筋から馬車めがけて放たれた。
幸いにも、直撃はしなかったものの、馬車を掠めた光条は、ピーちゃんに当たってしまった。
ピーちゃんを入れた籠は音を立てて地面に落ちた。
「ピーちゃん……」
馬車を止めて外に出ると、永久は沈痛な表情で籠を拾った。
改めて確認する必要も無いとは思いましたが、籠を覗くとピーちゃんは焼け焦げ息絶えていました。
「フハハハハ、ジミー様を無視するからこうなるのだ!」
それを見るジミーは高笑いをあげていた。
「御主人様」
「何ですか?」
永久がキッと目尻を上げて見つめて来た。
「殺して下さい」
「永久がそう望むのなら、転生すら叶わぬほどに壊して上げましょう」
私の言葉を確認すると、無言のままピーちゃんの籠を抱えて馬車へと戻って行った。
「一般人の分際で、超人であるこのジミー様に刃向かうってのか、ウォォリャアァァ」
ジミーが殴りかかって来た。
私はその場を動かずに、打撃に対して逆向きのベクトルの力を発生させる。
ジミーの拳と私の生み出した力場が衝突すると、彼の拳は止まった。
彼には壁を殴ったような感触が伝わったはずです。
彼は驚愕で目を丸くした、この程度で隙を見せるというのは白兵戦用の戦闘生物としては三流品ですが、だからこそこの様に野盗の真似事――否、野盗そのもの――をしているのでしょうね……。
そんな、どうでも良いことを考えながら、自身の存在確率を制御して彼の後ろに回り込んだ。
「なっ、馬鹿な!」
彼はまたもや目を丸くした。
私は彼の頭頂部に手をかけると、歌うように告げた。
「覚悟せよ、汝は地獄に堕ちるこも、怪異となり果て、何処とも知れぬ異界をさまようことすら許されぬ」
そのまま力を込めて、彼の体を持ち上げる。
「このっ、離せ!」
彼が暴れたが、先程と同じ方法で全て防いだ。
さらに力を込め、指を頭蓋骨にめり込ませる。
「グギャァァ!」
絶叫が響きわたった。
指が脳に達したところで、私は呪文を唱え始めた。
「最後の聖王にして魔王協会の盟主たる我、ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世の名に置いて命じる、森羅よ、万象よ、我に従え……」
その時、彼の体に異変が起こった。
体の各部分が、それぞれ本来ならば有り得ない動きを示し、同時に本来ならば有り得ない形に変形していく。
両腕は数メートルの長さまで伸び樹木の枝ような形に変わった、舌もまた大きく伸び花の雌しべの様に変わった、目は飛び出た後蔦のような物に変わった、左足は蛇の尾のように変わり、右足は腐って爛れ落ちた、そうして肌は隈無く鱗に覆われた。
「彼の者は咎人なり、彼の者の罪を永劫の物とし、決して天の門が彼の者に開かれることの無いように」
呪文が終わる頃にはジミーはすっかり異形の姿と化していた。
「さて、ここで終えれば貴方はその醜い肉体と壊れた魂を持ち、何処とも知れぬ異界を永劫にさまよう事になるのですが、最初に言いましたよね? 貴方にはそれすら許されません。……って、言ってももう分かりませんよね」
一旦言葉を切った私は、今度は短く呟いた。
「灼け」
次の瞬間ジミーだった物は炎に包まれた。
……実のところ、これは厳密には炎ではない、万物を虚無へと還す劫火……、それは無から有を生み出す創世の力と対を成す、有を無に還す終焉の力であった、炎はその表出に過ぎない。
ジミーの肉体と魂を完全に消滅させた私は馬車へと戻った。
「お帰りなさい、御主人様! 一緒に食べましょう」
「ピーチャン、ピーチャン、ピーチャンダヨー」
……馬車に戻った私を待っていたのは、焼き鳥のような物を両手に持った永久と、骨だけになったにも関わらずに喋る――恐らくは、遠隔地に音声を伝える伝声の魔術の応用であろう――ピーちゃんであった。
「ありがとう、永久」
私は笑顔で焼き鳥の串を受け取りながら、永久の人格形成期の生活環境に思いを巡らせた。
確か、奴隷市場で買ったのが永久が八歳の時で、その後の十年ほどは魔王協会で育てたから完全に魔物社会で、その前は実家の地下牢で、食事以外は其処の亡霊たちに育てられたと言っていたから……。
……これでは、生死に関してまともな倫理観の育つ余地はありませんね。
「どうしましたか? 御主人様? 美味しいですよ?」
「オイシイヨ、オイシイヨ」
どうやら手が止まっていたらしい、永久が若干不安げな顔で覗き込んで来た。
「いえ、何でもありません。美味しく焼けていますよ」
焼き鳥を一口かじり、永久に微笑み返す。
「ありがとうございます、御主人様!」
「アリガトウ、アリガトウ」
……問題が無いとは言い難いですが、今はこれで良いですよね?
「今回も出番は無かったのであります!」
ずっと御者台にいたのに一度も描写されなかった黒騎士。
頑張れ、黒騎士! 負けるな、黒騎士!