宿に帰ると、――まあ、何となく予想はしていましたが――ミーシャが仁王立ちしていた。
「お兄さん、ボク探したんだよ?」
表情は笑顔だが、目が笑っていない。
「取り敢えずは部屋に移動しましょう、話はそれからです」
部屋に入っても、相変わらずミーシャは三白眼でこちらを睨んでいる。
「ここを探すの、すっごく苦労したんだよ、お兄さん?」
彼女を納得させるのは難しそうだったので、取り敢えず、用事を済ませてしまう事にする。
「永久、脱ぎなさい」
「はい、御主人様!」
私の言葉に従って、永久の幼い裸身が露わになる。
起伏の少ない滑らかな体には、傷一つついていない。
……少なくとも表面上は。
「なっ! ひ、人が見ていても関係ないって言うの! お兄さんの変態! 永久ちゃんも、なに素直に従ってるの!」
見咎めたミーシャが喚く。
……面倒ですが、説明しておきましょう。
「どの様な勘違いをしているのかは概ね予想がつきますが、治療をするだけです」
表面上は何もない様に見えても、抉られた心臓は再生していない。
心臓は、生物学的には全身に血液を送るポンプに過ぎないが、魔術的には存在の核となる重要な部位である。
そのため、心臓が失われた場合、魔術で再生するよりも、科学的に培養した心臓を移植する方が遙かに容易なのである。
その様な事を、訥々と説明した所……。
「何となく分かったけどさ、ここで手術する気なの? お兄さん?」
取り敢えず、納得はしてくれた様である。
「ええ、多少雑にしても問題有りませんから」
適当に開いて心臓を入れてしまえば後は勝手に再生する上に、通常の対策で防げる様な病原体では永久に害を与える事など出来ない以上、わざわざ重苦しい設備を準備する意味などない。
「さて、そろそろ始めましょうか?」
「はい、御主人様!」
携帯用の培養槽に入った永久の心臓のクローンを取り出すと、永久の体にメスを入れる。
「はうっ……」
永久が、体を切り開かれる激痛に声を上げた。
本来心臓が有るべき所では、自己修復した血管が歪な形で固まっていた。
勝手に再生する皮膚や筋組織を引き千切りながら、血管の固まりを取り除き、代わりに先程取り出した心臓を埋め込むと、ものの数秒で切開の痕は消えてしまった。
「永久、終わりましたよ」
「ありがとう御座いました、御主人様!」
手術の終了を告げると、永久は裸のまま私に抱きついて血を啜り始めた。
「お、お兄さんの変態!」
ミーシャが喚いて走り去っていった。
「行ってしまいましたね、御主人様……」
「ええ、結局何をしに来たのでしょう? それはさておき、服を着なさい」
このままでは、目のやり所に困ります。
……何故か、凝視していても問題がない様な気がしますが。
「はい、御主人様!」
永久は素直に夜着に着替えると、吸血を再開した。
おや? 先程のメイド服が脱ぎ捨てたままになっている。
いつもは、誰かが片付けていたはずですが……。
……何かを忘れている様な気がして来ました。
「どうなさいましたか、御主人様?」
つい、考え込んでしまったようで、永久が吸血を中断して上目使いに尋ねてきた。
「いえ、何かを忘れている様な気がして。永久は何か思い当たりませんか?」
「そう言えば、もう一人居たような気がします」
永久も一緒になって首を傾げるが、結局、思い出すことは出来なかった。
翌朝、変わり果てた姿の黒騎士(歪な金属球)が宿の前に転がっていましたが、それはまた別のお話。
「抽選の結果、準決勝第一試合はルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世選手VSカイル選手の試合となりました!」
「試合、開始、です」
ファランクスと人形遣いが試合開始を告げる。 ……因みに、今日も人形遣いは猫耳とスクール水着着用である。
私は、十メートル程の距離でカイルと向かい合っていた。
人形遣いの頼みもあるので、大会を盛り上げるために多少なりとも苦戦をして見せた方が良いのだが、彼の場合には一撃で消し飛ばす事は容易であっても、正面から戦って勝つとなると途端に難易度が上がる。
これは、彼の持つ「勇者」と言う属性に因るものなのだが、ここでは割愛する。
「ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世! ここで会ったが十年目、今日こそは貴様を滅ぼしてくれる!」
彼は啖呵を切ると、あたかも水晶の如く透き通る刀身の大剣を抜き放った。
百年目ではなく、敢えて正確な年数を出す辺りが彼らしい。
思い返せば十年前、その瞳に悪を討ち滅ぼすと言う信念を漲らせていた初々しい十歳の小さな勇者の姿が懐かしい。
因みに、当時の彼は永久に惚れていた様で、それは、彼が永久に嫌われている原因の一つなのですが、これはまた別のお話。
「始原の剣よ!」
カイルが剣に魔力(気合い?)を込めると、剣は虹色に輝きだした。
彼の剣は、最初に創られた神器であり、他の物と区別する必要がなかったが故に名付けられなかった、と言う逸話がある。
逸話の真偽は定かではないが、私すら起源を正確には知らない様な古い剣である事は間違いない。
「千裂斬!」
カイルは一瞬で間合いを詰めると、人間とは思えない速度で剣を振り回す。
……彼も人間をやめて来ましたね。
因果の糸を用いて先程の攻撃を「無かった事」としつつ、牽制に存在否定攻撃を放つ。
存在否定攻撃は対処こそ比較的容易であるが、その対処を怠れば即座に消滅してしまうため、牽制としては有用である。
カイルと世界の因果を断とうとしていた制御用仮想意識は一瞬で消滅したが、カイルの動きをほんの一瞬だが止めることに成功した。
私は一瞬の間隙に無限熱量を内包した閉鎖空間を放つが、知覚不可能なはずの閉鎖空間はカイルの気合いで弾道を反らされて、観客席との間にある空間断絶障壁に触れて異界に消えた。
……身体能力と気合いのみで世界率干渉型魔術に対抗する様は到底人間とは思えなかったが、それでも飢えと乾きには勝てなかったらしい。
あれから三日三晩戦い続けた後、カイルは餓死した。
……永久が血に飢えて観客やミーシャを襲っていなければ良いのですが。