「はい、今回は永久の視点ですよ」
御主人様は、よく分からない事を言うと、何とも形容し難い『何か』を私に手渡した。
それは、水薬の様であり、抉られた眼球の様でもあった。
あるいは、カメラなのかも知れないし、丸薬なのかも知れない。
天使の内蔵の色でもあり、透き通る夜空の色でもあった。
……飲めば良いのでしょうか?
それでも何故か、御主人様が私に何かの役割を振ろうとしているのは理解出来た。
ならば、私が返す言葉はただ一つ。
「はい、御主人様!」
御主人様は優しく微笑むと、慈しむ様に私を撫でた。
「ふみゅ」
心地良い手の感触に、思わず声が出てしまう。
そして、食欲とも性欲とも取れない衝動が促すままに、御主人様の首筋に牙を立てた。
喉を潤す血潮は、並ぶ物無き至上の甘露。
私の様なダンピール(人間と吸血鬼のハーフ)は、血をすする事を嫌う者も多いらしいですけど、どうしてこんなにも美味しい物が嫌いなのでしょう?
「ところで御主人様、これは何なのですか?」
しばらく後、先程の『何か』について御主人様に尋ねる事にしました。
「それは、視点と呼ばれるモノで根元定理の一端です。一目見て分からない場合は説明しても分からないので、性質については割愛しますね。理解出来るか否には立場や性格が関係しているようですが……、詳細は不明です」
根元定理――世界によってそれぞれ異なる物理法則や魔術法則の根底にある、最も根源的な全ての世界に共通の法則――、御主人様の言葉を信じるのなら、この不可解な『何か』はその一部らしい。
一目見て分からないのなら、説明しても分からないと言うのは、普通ならば偏見に過ぎませんが、根元定理に関してはそう言った事がしばしば発生しますから、御主人様が分からないと言うのなら、私には分からないのでしょう。
「はい、御主人様!」
私が理解出来なくても、御主人様が理解しているのなら問題はない。
恐らく、危ない物ではないでしょうし、たとえ危険物だったとしても、御主人様が下さった物なら構いません。
その世界は、どこか冷たい感じがしました。
無機質なビル群が立ち並ぶその世界では、魔術ではなく、科学が発達しているそうです。
もっとも御主人様によれば、魔術も科学も本質は大差ないとの事ですが……。
それはさておき……。
「御主人様、どうして遠巻きに眺められているのでしょう?」
いつもの様に馬車でその世界に入ると、何故か、珍しい物でも見るかの如く、現地住民達が人垣を作っていました。
「……そう言えば、この世界で馬車はあまり一般的ではありませんでしたね。私達の服も、この世界の常識から見れば異常なはずですし……」
言われて、自分達の服装を見回してみました。
まず私は、御主人様の手作りで、フリルたっぷりのメイド服。
次に御主人様は、随所に金糸銀糸の刺繍や紅玉の飾りをあしらった、風格ある純白のローブ。
黒騎士は本体が鎧ですから、……全裸?
「大変です御主人様、黒騎士が全裸です!」
文明化された社会では、一般に町中で裸体を晒す事は忌避されることが多のです。
例え人造物と言えど、一定の知性を備える場合には、外装の上から更に衣服を着用させることが義務づけられている場合があります。
それを怠った場合に責められるのは、基本的に道具である人造物ではなく、持ち主である場合が多いのです。
……黒騎士の所為で、御主人様が糾弾される事は避けなくてはいけません。
「いざとなったら、私が身代わりに……。あっ、それでも責められるのは保護者の御主人様で……」
「永久、黒騎士の事はどうでも良いのです、そもそも人格を持つレベルの人工知能が基本的に存在しない以上、人工知能の権利関連で責められる事はありません。そう言った事ではなく、ただ単に私達の服装が、この世界で一般的に着られている物ではない、と言うだけの事です」
どうやら、思考が口から漏れていた様です。御主人様が私の勘違いを正してくれました。
「はい、御主人様!」
言われてみれば、現地住民達の服装は、作業着からの派生と思われる物等、動きやすさを重視した衣装が大半を占めています。
確かに、この世界に置いては私達の服装は異様なのでしょう。
「馬車と黒騎士を預けたら、服を買いに行きましょう」
郷に入りては郷に従え。
この世界の衣服を着てみるのも、また一興でしょう。
「はい、御主人様!」
この世界に、馬車を預けられる宿はまず無いだろうと言う事で、馬車と黒騎士を魔王協会の支部へと預けた御主人様と私は、近くのお洋服屋さんに足を運びました。
「御主人様、これはどうでしょう?」
今私が着ているのは、たくさんフリルが付いた黒いドレス――ゴシックロリータと言うそうです。
「よく似合っていますよ。やはり、永久には人形じみている位が似合いますね」
私が悩んでいる間に、手早く選んだスーツの一着に身を包んだ御主人様は、優しく微笑んでいます。
「ありがとう御座います、御主人様」
御主人様の言葉は、ただ単に私の容姿に対する評価でしょうか? それとも、私達の関係は、人形と持ち主のそれだと、暗に告げたのでしょうか?
後者ならば、とても嬉しく思います。何故なら、人形は愛される物だから。例え、飽きれば捨てられてしまうとしても、そこには確かな愛があります。だから、私は人形でありたい。
「会長、お伝えしたい事があります」
服を選び初めてからしばらく経った頃、先程馬車を預けた魔王協会支部の支部長が、何故か店にやって来ました。
「聞きましょう。手短に話しなさい」
しかし、話しを持って来たらしい彼は、御主人様の快諾を得たにも関わらず、なにやら口ごもっています。
「いえ、その……、ここでは少し人目もありますので……。非常に申し訳御座いませんが、少し場所を変えさせて頂いても宜しいでしょうか?」
どうやら、あまり他人には聞かせたくない類の話しの様です。
もっとも、ここの支部長はどうにも小者っぽいので、格好付けで言っているだけかもしれませんけど。
「永久、すぐに戻ります」
支部長は御主人様を連れて、魔王協会支部の方へ歩いて行った。
「な、何だあれは!」
「お母さーん!」
「ヒィーッッ!」
御主人様達が店を出て行った後、突如として異形の蜂が店に押し入って来ました。
人の背丈ほどもあるその蜂は、どうやら死者の魂を核とした魔法生物の様です。
……正直、造りがものすごく雑に見えます。随時新しい魂を取り込んで、破損個所の修復に当てなければ、三日と持ちそうにありません。
「ワーッ!」
「警察……、いや、軍に連絡を!」
殺して魂を奪う気なのか、鉄パイプの様なお尻の針を、見境なく撃ちまくっています。
「支部長のお話って、これの事でしょうか?」
そんな事を呟きながら針を避けていると、うっかり足が滑って、丁度針に当たりそうだった子供を庇う様な形になってしまいました。
…………? 何故か針が来ません。
「これは……、時間停止?」
世界の全てが停止しています。誰かが時間停止の魔術を使用した様ですが……、御主人様にしては術式が雑な感じがします。もしかして、支部長でしょうか?
「貴女の心意気、見せて貰ったわ!」
答えは、意外な所からもたらされました。
着せかえ人形の様なサイズの小さな天使、どうやら、時間停止の魔術を使ったのは彼女の様です。
「さあ! このプリティーバトンで魔法少女に変身して、亡霊獣と戦うのよ!」
彼女は、私の話など聞こうともせずに、プリティーバトン――先端にハートをあしらった、子供向けの玩具にありそうなバトン――を渡すと、そんな事を宣った。
「もうすぐ時間停止が解けるから、プリティーバトンを掲げて『プリティーチェンジ!』と叫ぶのよ!」
……まあ、良いか。
その数秒後、世界が動き出した。
「プリティーチェンジ! ひゃっ」
取り敢えず、プリティーバトンの始動キーを唱えると、突然光と共に服が弾け散った。
しかし、それがプリティーバトンの効果なのか、肌を衆目に晒す前に魔力で精製された衣服が私の肌を覆っていく。
やがて、光が収まると、私は白を基調とした衣装を身にまとっていた。
「ひゃう!」
いつも、露出の少ないメイド服を着ているので、ミニスカートは気恥ずかしいものがあります。
「さあ! 亡霊獣を……」
「汝、神を貫く閃光」
天使の少女が何か言いかけるも、それよりも早く背後から放たれた閃光の槍により、亡霊獣――巨大蜂――は葬られました。
「被害が無くて何より。ところで永久、その様な服はこの店にありましたか?」
背後では、亡霊獣を一撃の下に葬り去った御主人様が、優しく微笑んでいました。