「いただきます、御主人様」
御主人様の、抜ける様に白い首筋に牙を立てる。
口腔を満たす血は、屍肉よりも甘美で、聖典よりも苦く、そして月光よりも優しい味がする。
夜着越しに感じる御主人様の体は、男性的な力強さと、女性的な柔らかさを兼ね備えていて、酷く心地良い。
夜、御主人様の血を吸っていると、声をかけられました。
「永久、私は明日この世界を離れて神威連合との交渉に臨まなくてはいけません。恐らく、私が居ない間に襲撃があるでしょう。……と言うか、ビフレスト条約の規定で襲撃しなくてはいけないのですが。……まあ、それは心配していません。それよりも、私がいないからと言って、また関係のない人を吸い殺さない様にして下さい」
「……はい、御主人様」
自信はありませんが、御主人様の意に添えるよう努力してみます。
いざとなったら、リズエルから吸いましょう。
「……その間は何ですか?」
御主人様は、何か言いたげにしていましたが、しばらくすると諦めた様に息を付きました。
翌朝。
「何ですか、あの部屋は! あれは牢屋ではないですか!」
私達は、リズエルの喚き声で目覚めました。
「普通の部屋が、図ったかの様に空いて居なかったのですよ……。一応、牢屋としては最上級ですよ?」
御主人様が眠たそうに目を擦りながら説明します。
「た、確かに、異常に豪華だったけど……」
言いよどむリズエル。御主人様は、話を続けます。
「あの時間では、ホテル等の外部宿泊施設を探すのも難しいのでね。まあ、ラブホテルの類で良ければ、ない事はないと思いますが……」
「ある意味、究極の選択ね……」
結局、リズエルも納得してくれた様です。
御主人様とリズエルが、話している間に着替えていると、何か言いたそうな顔のリズエルに御主人様が囁きかけました。
「おや、騒がないのですか?」
彼女は、憮然とした顔で答えました。
「……着替えくらいで騒いでいると、身が持たない気がして来たの」
諦めたかの様な口調のリズエル。
着替えるのは、リズエルが居なくなった後の方が良かったのでしょうか?
「……まあ、確かに」
御主人様は溜息をつくと、リズエルを窓から放り出して着替え始めました。
着替えを終えた御主人様が居なくなって、紅茶を蒸らす程の時間が過ぎた頃、窓からリズエルが戻って来ました。
小さな羽根を羽ばたかせて上って来た努力は認めますけど、普通に入り口から戻った方が楽だったと思いますよ?
「あれ、タンタロス会長は?」
しばらくは息を整えていたリズエルですが、落ち着いて来ると、御主人様の不在に気が付いたようです。
「御主人様なら、神威連合との交渉に行きましたよ」
御主人様が出掛けたことを教えました。
「嗚呼、成る程」
リズエルは納得したのか、頻りに頷いています。
「と言う事は、会長はしばらく帰って来ないのよね?」
やがて、頷くのを止めると、そんな事を尋ねて来ました。
「はい、会議の進行速度にも依りますが、数日はかかると思います」
いくら何でも、神威連合の様な大組織が相手では、一日で終わるとは考えづらい。
「折角だから、少しお話しましょう? 私達、お互いの事をほとんど知らないもの」
リズエルの言う通り、私は彼女の事を余り知りません。
襲撃があるそうですけど、それまではする事もありませんし……。
「はい、構いませんよ」
彼女とゆっくり話してみるのも、悪くは無いでしょう。
「そう言えば昨日、愛玩用奴隷とか言ってたけど、どう言う事?」
リズエルと話していると、不意にそんな事を尋ねられました。
「そのままの意味ですよ? 私は、奴隷として御主人様に買われました。丁度、百年前の事です。そして、基本的には労働を課されていないので、愛玩用なのでしょう」
特に隠す様な事でもないので、正直に答えます。御主人様がどう思っているのかは知りません。しかし、私が奴隷として買われたのは事実です。
「……ごめんなさい、悪い事を聞いちゃったわね」
リズエルは、何故か黙って俯いてしまいました。
「はえ?」
今の話に、落ち込む様な要素があったのでしょうか?
「……えっと。もしかして、全く気にしてないの?」
気にする……? どう言う事でしょうか?
「だ、だって、人身売買なんて人を人とも思わない――いやまあ、私達は人間じゃないけど――最低の行為でしょう? 普通の生活を奪われて、商品として売り買いされたりしたら、普通はトラウマになってると思わない?」
そう言うものなのでしょうか? 首を傾げていると、リズエルは諦めた様に溜息をつきました。