「行き倒れ……でしょうか?」
偶然立ち寄ったとある世界。馬車に乗って街道を進んでいると、馬車の進行方向に二桁に届くか否かと言った年頃の少女が倒れているのを発見した。
街道に人間が転がっている事自体は特筆すべき事柄でもないのだが、少女の服装はこの辺り――いや、この世界の物ではない様だ。
化学繊維で織られていると思わしきそれは、恐らくは学校の制服なのだろう、些か土埃で汚れてしまってはいるものの、少女の幼く愛らしい容貌によく似合っている。
「何かありましたか、御主人様?」
手綱を緩めれば少女を喰らいに行きかねない馬車馬をいなしながら、取り敢えずは少女を回収すべきかと考えていると、馬車を長く止めていたので気になったのだろう、倒れている少女より一つ二つ年上に見えるメイド服を着た少女が客室から顔を出した。
「あれを見て下さい」
倒れている少女を指さす。
「……拾って調教して、成長して要らなくなったら売りますか?」
……メイド服の少女――永久の物騒な発想に頭を抱えつつ、差し当たっては倒れている少女を回収して、客室の寝台に寝かせることにした。
客室に倒れていた少女を運び入れた後、私は黒騎士――全身甲冑をベースにした魔法生物――に御者を任せて少女の様子を診る事にした。
少女の体には、数ヶ所の擦過傷を除いて外傷はなく、服も土埃で汚れてはいても、何日も洗っていないと感じは受けない。
「……矢張り、迷い人でしょうか」
「ある種の自然現象によって、己の意志に寄らず異なる世界に移動した人間ないしそれに準ずる存在……でしたっけ?」
私の呟きに答えるかの様に、永久は迷い人の定義を諳んじた。
「ええ、その通りです。……どうやら気が付いたようですね」
私たちの遣り取りで目が覚めたのか、少女は小さく呻いた。
「……ん。……アルビノの美人魔法使いにロリっ娘メイドさん……夢か……」
……即座に夢と断定してまた眠ってしまいました。
「起きなさい、夢だと思うのも仕方がないのかもしれませんが、これは現実です。それと、私は男です。」
少女を揺すって起こす。
少女はしばらく唸っていたが、やがて観念したのか目を開いて体を起こした。
「……むう、頬を抓ってくれ。定番だと思う」
目を覚ました少女は、唐突にそんな事を言い出した。
「では早速……」
少女の頬を摘み、マシュマロの様な感触をしばし堪能する。
「い、痛い痛い! もう、夢ではないのは分かったから止めてくれ!」
少女から手を離す。永久が羨ましそうな目でこちらを見つめていたので、今度は永久の頬を摘んでムニュムニュする。
「うう、いくら定番だからと言ってあんな事を言わなければ良かった……。まあ良い、ここは何処だ?」
少女はしばらく頬を押さえていたが、やがて痛みが引いたのか、現在地を尋ねて来た。
「ここは、私の馬車の客室です。地名なら、確かセシウス王国セイレン男爵領メルクル街道だったはずですが……、分かりませんよね?」
もし、少女が迷い人であれば、この世界の地名を言って理解出来る可能性は、確率を論じる事すら馬鹿らしい程に低い。
ここが少女が暮らしていた世界では無い可能性が高い事を、どの様に説明しようかと考えていると、少女は唐突に握り拳を作り、妙に嬉しそうな声を上げた。
「異世界トリップキタコレ!」
……えっと、説明が省けて楽なのですが、どうしてこんなに嬉しそうなのでしょう?
少女の奇妙な反応に呆然としていると、少女は興奮した面持ちで身を乗り出して来た。
「ここは剣と魔法の世界なのだな! そうなのだな!」
「……まあ、武器は剣や弓等の原始的な構造の物が主流ですし、社会の根幹をなす技術として魔法が発達しているので、その認識でも間違ってはいないと思いますよ」
えっと、普通はもっと錯乱したり、帰れるかどうかを心配するものではないのでしょうか?
「そして、直ぐには帰れないから、帰る方法を探す必要がある! そうなのだろう!」
……帰れない方が良いのでしょうか?
「いえ、座標計算に時間が掛かるので、今日明日にとは行きませんが、一月もあれば帰れると思いますよ」
人為的な転移とは異なり、揺らぎが大きい自然転移の場合、転移前の座標を割り出すのも一苦労だが、決して不可能ではない。
少女の様な事例は、多くはない物のそれなりの数が確認されており、帰還方法も確立されているため、少女がわざわざ危険を冒す必要はない。
「な、何だと! では、何のために私はここに居るのだ!」
……ただの自然災害なのですが。
「帰りたくないと言うのであれば、こちらに永住出来る様に手を回しますが……」
「いやいや、帰れると言うのなら帰りたい、帰りたいのだが……ロマンが足りない!」
少女は雄叫びを上げると、うなだれて静かになってしまった。
「そう言えば、そろそろ翻訳魔法をかけても良いですか? このままだと、永久が会話に入れないので」
少女が落ち着く頃合いを見計らって、声を掛ける。
私はさて置き、永久は少女の使っている言葉を知らないはずである。
「おお、魔法が見られるのか。……と言うか、御都合主義で会話が通じている訳ではなかったのだな。……いや、この状況で会話が通じる人物に出会っただけで十分御都合主義か。早く掛けてくれ」
少女が特に文句を言う事もなかったので、早速掛けさせて貰う事にした。
「虚空を渡る言の葉はゆるりゆるりと舞い踊る」
呪文を唱えると、少女の体が僅かに光を放ったが、直ぐに光は収まった。
「地味だな。いや、翻訳魔法に派手さを求めても仕方がないが」
少女は、手のひらを見つめたり、虚空に話し掛けたりしていたが、しばらくするとこちらに向き直り、改まった様子になって口を開いた。
「異世界トリップに興奮して礼を言うのを忘れていた。実は道端に倒れていたのはうっすらとだが覚えている、拾って寝かせてくれたのだろう? 感謝している。……上目使いに、お兄ちゃんありがとう、とでも言った方が良かったか?」
意外に義理堅い性格なのか、礼を述べる少女。
お兄ちゃんには、引かれないでもないですが……。
「いえ、特に目的の無い気ままな旅ですから、えっと……。そう言えば、名前を聞いていませんでしたね」
少女の名前を呼ぼうとして、まだ名前を聞いていない事を思い出す。
「そう言えば、そうであったな。私は空乃宮(そらのみや)麗兎(れいう)、レイたんとでも呼んでくれ」
永久の頬を摘んでいた手を離して膝に座らせ、少女に名乗り返す。
「私は、ルーツ=エンブリオ=ヘルロード=タンタロス十三世。この子は……」
「永久=桜乃小路=アイオーンと申します」
永久は、私の膝の上に座ったまま一礼する。
「そうか、改めて宜しく頼むぞ。ところで、今は何処に向かっているのだ? ……いや、地名を聞いても分からないのだろうがな」
少女の問いかけに、永久が口を開く。
「確か、ミルドと言う小さな村です。良質なコカトリス肉の産地として知られています。……これで合っていますよね、御主人様?」
「ええ、合っていますよ」
永久の頭を撫でると、心地良さそうな顔で首筋に噛みついて来た。
「おお、永久たんは吸血鬼だったのか!」
少女――レイたんが、またもや嬉しそうにしていたのはお約束。
馬車は、ゆっくりと次の目的地であるミルドの村に向けて進んで行く。