「遅い!」
ゴブリンに囲まれたレイたんは、手にした鉄扇でゴブリン達の首をへし折っていく。
ゴブリンを発見するなり突撃して行った時はどうなるかと思ったが、これなら問題は無さそうだ。
その様子をしばらく眺めていると、やがてゴブリンを全滅させたレイたんが戻って来た。
「終わったぞ!」
今回は何事も無かったが、何時までもそうであるとは限らない。少しばかり釘を差しておくべきだろう。
「もう少し慎重に行動しなさい。殺されたり犯されたりしたら、体を治して記憶を書き換える事は出来ても、そう言う事が起こったと言う事実だけはどうしようも無いのですから。勿論、時間の遡行措置が出来ない訳では有りませんが、それとて先に述べた対処と大きく変わるとは思えません。……誰も知らないのならば、起こっていないのと同じ事だ、と言われればそれまでなのですが」
本当の意味で過去を変える事は出来ない。何らかの手段を用いて過去を変えた様に見えても、『過去を変えた』と言う過去は消し去る事が出来ないのだから。……いや、厳密には出来ない訳ではないが、それは『過去を変えたと言う、過去を変えた』と言う過去になるだけで、本質的には何も変わらない。
「……すまん、つい浮かれてしまった」
うなだれるレイたん。しかし、続く言葉は予想外の物だった。
「私の体はお兄さんの物なのに、他の男に犯されたりしたら駄目だな」
「……私は、貴女を奴隷にした覚えはありませんよ?」
レイたんは、尚も言い募る。
「私は助けられたお礼に体を差し出し、お兄さんはそれを受け入れた。ならば、心は別としても、体はお兄さんの物だろう? 嗚呼、心は別と言っても、お兄さんが嫌いだとか、嫌々抱かれているとか言う事ではないぞ」
育った世界の違いだろうか。時折、レイたんとは妙な所で会話が噛み合わない。
「……その辺りに関しては別の機会に改めて問いただすとして、話を戻しましょう。私の物云々以前に、そう言う事自体が恐ろしいとは思わないのですか?」
私の言葉にレイたんは、得心したとばかりに手を打ち合わせた。
「もしかして、心配してくれたのか? お兄さんは優しいな」
ようやく伝わったらしい。
「まあ、結局は気分の問題なので、気にならないと言うのならば特に問題は無いのですが……」
そう言えばミルドでは、同じ様な遣り取りで一日潰れたのだったか。
「うむ、治るのであれば気にはならぬが、お兄さんの心遣いは嬉しかったぞ」
レイたんは笑顔で話を締めくくった。
「そう言えば、この後はどうすれば良いのだ?」
「確か、村人にゴブリンの遺体を確認させて、依頼書に村長のサインを貰えば、冒険者ギルドで報酬を受け取れるはずです」
ゴブリンの亡骸を眺めながら、レイたんの問いかけに答える。
浅黒く皺に覆われた皮膚、低い鼻と血走った目、毛のない頭部に、裂けた様な口からはみ出す牙。大まかな輪郭は人間の子供に似ているが、近くで見れば見間違える事は無いだろう。……いや、醜い子供を指して『ゴブリンの様な子供』と呼ぶ表現も有るのだが。
彼らは人間に非常に近縁な妖魔の一種で、数匹から数十匹程度の群を作る。多くは人里離れた山奥に生息しているが、偶に人里に降りてくる場合があり、その様な群は畑を荒らしたり家畜を奪ったりと、村に被害を出す事が多いため、今回の様な討伐依頼が出される。
なお、余り一般には知られていないが、ゴブリンの雌は人間の少女に極めて近い姿をしており、時折奴隷市場に並ぶ事もある。雄に比べて数が少ない上に、巣穴等に隠れている場合が多く、意図的に探さない限り目にする機会は少ない。上手く捕まえられれば小遣い稼ぎになるが、雄を皆殺しにした以上、放って置いてもその内餓死するので、無理に探す必要も無いだろう。
そんな事を考えていると、永久が村人を連れてきた。
「御主人様、連れて来ましたよ」
「……へい、確認しやした。村長の所に案内しやす」
村人はゴブリンの遺体を確認すると、村まで案内してくれた。
村長は直ぐにサインをくれた。村長曰く、数年に一回は同じ様な事があるため、慣れてしまったらしい。
その後、日が暮れていたため、村長の家で一泊してから帰る事にしたのだった。
翌日の昼頃、セイレンの街に帰り着いた私達は、冒険者ギルドへ報酬を受け取りに来ていた。
「こちらが報酬になります」
契約書を確認した受付の女性は、銅貨の詰まった革袋を差し出す。数えると、確かに六十枚有る様だ。
「はい、レイたん」
受け取った銅貨をどうするか少し悩んだが、レイたんに渡す事にした。お小遣いを渡そうと思っていた所だったから、丁度良い。
「良いのか?」
「ええ、結局レイたん一人で片づけてしまいましたし」
傍らの永久も、特に文句を言う様子は無い。
「麗兎! 麗兎じゃないか!」
用事も片づいた事だし、昼食を何処で食べようか考えていると、一人の男が話しかけてきた。
均整の取れた体つきに、使い込まれた革鎧、腰には剣を吊している。男は冒険者なのだろう。
「ん……? まさか、二年前に失踪した戒兎(かいと)兄上か?」
彼――レイたんの言葉を信じるのならば戒兎と言うらしい――は、レイたんの兄である様だ。
昼食を食べながら話を聞くとしよう。私は、永久の頭を軽く撫でた。