「――と言う訳で、吸血鬼化の魔法は感染性を持った複数の呪詛の集合と考える事が出来ます。詰まりは、吸血鬼化の魔法の中の幾つかの効果だけを限定的に機能させる事も、理論上は可能であると言えましょう。ただし、吸血鬼化の魔法に含まれる各呪詛は互いに不足部分を補って機能する様に作られているため、各呪詛を単体で使用した場合には高確率で不具合を生じ、多くの場合には生命維持すらままならないでしょう。何らかの理由で感染が上手く行かなかった場合にも、同様の事態に陥るケースが報告されており……」
講義を聴くのはレイたんと、彼女と同じ年頃の金髪の少女。永久は私の膝の上に座っている。
「成る程な」
「む、難しいよう。魔法って言ったらもっとこう、ドーンとかバーンとか……」
前者はレイたんで、後者は金髪の少女。金髪の少女――アリスの認識は流石にどうかと思う。
戒兎に出会った翌日、私達は商人の護衛を引き受けた。……引き受けたのは良いのだが、商人の娘――アリスと同年代の少女が二人も居たからか、馬車内でアリスの話し相手をする事になってしまった。そして、気が付いたら何故か魔法の講義をしていたのである。外ではもう一組の冒険者が警備をしている。
「ねえねえ、そんな地味なのじゃなくて、もっと格好いいのを教えてよ。詠唱破棄とか多重詠唱とか」
私の話に飽きたらしいアリスはそんな事を言った。
「む、そんな物があるのか?」
レイたんも興味があるのか身を乗り出す。
「……まあ、良いでしょう」
正直なところ、魔法戦闘は専門外なのだが、仕方有るまい。
「まず、詠唱破棄ですが、これはそもそも技術ではありません」
「そうなのか?」
「どう言うこと?」
私の言葉に首を傾げる二人。
「はい、そもそも本来であれば、魔法に詠唱などと言った物は必要有りません。しかし、脳内で術式を展開するだけでは揺らぎが大きく、正常に発動しない事も多かったのです。それを解消するために詠唱や魔法陣と言った技術が生まれたのです。ですから、詠唱破棄自体は技術でも何でも無い訳です」
二人は感心した顔で話を聞いている。
「次に多重詠唱ですが、これは多重思考と呼ばれる技術を魔法に転用したもので、多重思考自体は数百時間に及ぶ連続勤務を強いられた某所の事務員達が、左右の手で別々の仕事を同時にこなすために編み出したと言われています」
今でこそ、人造事務員の大量配備によって大分ましになったそうだが、魔王協会の事務員達は一時期かなり悲惨な状態だったらしい。この様な経緯で生まれたせいか、如何にも戦闘魔法使いが好みそうな技術であるにも係わらず、多重詠唱を使える者の多くは事務員である。
「何という無駄知識」
「……えっと」
うんうんと頷くレイたんと、戸惑っているアリス。私自身、初めてこれを知った時には何とも言えない気分になったものだ。
「ねえねえ、麗兎達は私と同じ位の年なのに、どうして冒険者をしているの?」
魔法の話にも飽きたのか、アリスがそんな事を聞いた。
「む、異世界トリップで冒険者になるのは定番だろ? いやまあ、どちらかと言えば男の子の場合の定番かも知れんが」
さも当然とばかりに、よく分からない答えを返すレイたん。彼女の考えは未だに分からない。
「どう言う事? と言うか、異世界トリップって何?」
アリスも首を傾げている。
「まずは、そこからか。異世界トリップと言うのはだな、言葉通り異世界に移動してしまう事なのだが、私の国にはこれを取り扱った物語が結構あってだな……」
レイたんは何処か楽しそうに説明を始めた。
「えっと……、物語を読んで冒険者に憧れてたって事?」
レイたんの説明を聞いてもよく分からなかったのか、自信なさげに聞き返すアリス。
「まあ……、その認識でも間違いでは無いか」
レイたんは少し考えると、そう結論づけた様だ。
「でも、異世界って言うのはよく分からないけど、遠くからいきなり連れて来られたんだよね。大丈夫だったの?」
「嗚呼、割と直ぐに……」
アリスの言葉に、レイたんはそのまま答えようとしたが、急に何かを思いついたかの様な笑みを浮かべると、体を小さく縮めて目尻に涙を浮かべ語り出した。
「……いきなり見知らぬ場所に放り出されて、人を探して歩き回っていると倒れちゃって。ようやく優しいお兄さんに助けられたと思ったら、その日の夜には体を求められて……。お兄さんは私が倒れても魔法で治して、何度も、何度も……」
言い終わるなり、泣き崩れるレイたん。――事実だけを見れば、嘘では無い辺りが嫌らしい。
「大変……だったんだね」
アリスはレイたんを抱きしめると、私を睨みつけてきた。
「お兄ちゃんは……優しい人だと思ってたのに!」
築き上げた信頼が、そのまま嫌悪に変わったかの様なアリスの糾弾。直ぐ横では、レイたんがニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。
「御主人様は、優しいですよ?」
そんな時に声を上げたのは、私の膝の上に座っている永久だった。
「え、でも……」
不意を突かれて戸惑った声を上げるアリスに向けて、永久は更に言葉を紡ぐ。
「御主人様は、奴隷に過ぎない私をとても大切に扱ってくれました。ただ生きていくだけなら必要ない程の量の血液を求める私に、嫌な顔一つせずに応えてくれました。私を売った実家とも和解させてくれました。帰りたければ帰って良いとまで言って下さいました。それに……麗兎さんの事も、何の見返りも無く保護されるのを申し訳なさそうにしていた麗兎さんを安心させるために……」
「そう……なの?」
永久の言葉に、アリスはこちらを見つめながら首を傾げた。
「確かに、そう言った面もありました。しかし――」
「実は私から誘ったのだ。不用意な発言で皆を困らせてしまってすまなかった。謝罪しよう」
私の言葉を遮ったのはレイたん。
「最初は少しお兄さんをからかうだけの積もりだったのだが、思った以上に大事になってしまった」
レイたんの言葉に、アリスは呆然としている。
その後、途中からアリスが妙に顔を赤くする様になったこと以外は特に問題も無く目的の村に商品を届け、そのまま帰路も護衛を果たした。